それでもあきらめるな どん底人生

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事業譲渡で社長をやめる時に経験した事

社長が会社をやめる時

社長が社長をやめる時というのは、
いろんなパターンがあるでしょうけど、
大きく分けて下の3つではないでしょうか。

 1)後継者にバトンをわたす
2)死亡
3)倒産、廃業
4)M&A、売却、譲渡

 

私の場合は、この4つ目の事業譲渡で、
大手の企業に会社を買ってもらいました。

買ってもらったというのは、会社が厳しくなり、
自主独立の再建が難しいと判断したので、
第2会社方式による事業譲渡をする事にしました。

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第2会社方式とは

財務的に厳しくなった企業が、
会社をいい部分と悪い部分の2つに分けて、
いい部分をスポンサーに引取ってもらい、
悪い部分を特別清算させるという方法です。

特別清算とは、会社を消滅させるという事です。

 悪い部分には金融機関の借金を残しますから、
すべての金融機関からの同意が前提になります。

この同意を頂く為に、弁護士や会計士の先生の力を借りて、
事業再生計画書という資料を作りました。

 この計画書は

1)財務状況の推移
2)窮境状況と原因
3)事業再生計画
  -1再生スキーム
  -2スポンサー概要

4)金融支援の内容
5)保証債務の弁済計画

から構成されています。

 そして、清算配当率、つまり、この企業を倒産させた時に
弁済配当される金額の率と、第2会社方式で債権放棄をした場合の
比較が行われ、どちらが弁済される額が多いのかという
経済合理性という判断がなされました。

 バンクミーティングでの協議

弁護士の先生とこの計画書をもって、
全ての金融機関に同意を頂く為に、
出向いて説明しました。

有難い事に、専門的な受け答えは、
弁護士の先生が全て行ってくれたので、
社長である私は、ひたすらお詫びをする役でした。

 後に聞いた話ですが、ここまで親身になって
一緒に金融機関を回ってくれる弁護士はなかなかいないそうです。

どんな弁護士の先生にお願いするかという事も、
大切な事なんだと痛感しました。

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金融機関を回っていて、よく言われた事は、
『他の銀行さんは何と言ってますか?』という事です。

自分の銀行での判断も大切にしながら、
他行の動きにも注意をされているのが良く解りました。

 そんな金融機関が一堂に会する場が、
バンクミーティングというものです。

1つの銀行で2名から3名参加されますから、
その他の専門家の弁護士や、会計士、
支援協議会の方などを加えると、ざっと30名ほどの会議になります。

 冒頭にとりしきってある支援協議会の方からご挨拶を頂き、
その後、債務者である私が挨拶をします。

人前で喋る事には慣れてるほうでしたが、
この挨拶は全然違ってました。

口の中はカラカラなのに、
手にはじっとり汗をかいていたのを覚えています。

 会議では、弁護士の先生が粛々と計画の内容について
説明してくれるのですが、たまに、それも突然、
社長である私に質問が飛んでくる事がありましたから、
会議の時間中は常に緊張の連続です。

 うかつなことは言えないけれど、
黙ってるわけにもいかないから
常に頭をフル回転させていなくてはいけません。

 毎回、終わった時にはどっと疲れてました。
誰とも喋りたくなくて、
一人行きつけの焼き鳥屋のカウンターの隅っこで、
話しかけないでねオーラを全面に出しながら、呑んでました。

 そんな、バンクミーティングを5回行う事になりました。

 金融機関からの同意書

色んな方の支援を得ながら、かれこれ1年ほどたった時、
支援協議会から呼び出されました。

そこで手渡されたのは、金融機関からの再生計画への同意書でした。

 『再生計画同意書』と書かれた1枚の紙に、
金融機関の名前と押印がされてあるだけのとてもシンプルなものです。

それを、支援協の責任者の方が重々しく
手渡してくれたのを覚えています。

 その1枚の紙がどれだけ重いのかは、
私にも十分に解っていました。

その重みの意味は、金融機関の方に、
債権の放棄を頂く事。

その為に、多くの方に尽力してもらい、
迷惑をかけてきた事。

これで、従業員の雇用が守られる事。

事業が続けられ、仕入先やお客様に迷惑をかけないで済むという事。

 社長として会社の連帯保証をしていた私は、
自宅他、それなりの資産は失うものの、
破産を免れるということ。

そして、私自身が長年続けてきた社長をやめるという事です。

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まとめ

実に長い道のりの途中では、何度もくじけそうになりました。
これからどうなるか解らない状況が続くと、
不安で押しつぶされそうになった事もしばしばありました。

 上手く行きそうだと思っても、
翌日にはまた振り出しに戻る事がよくありましたから、
安易に喜ぶのはよそうと思い始め、
いつの間にか悲観的に考えるようになってました。

 そんな時に、支援協を訪れてミーティングを終え、
帰り際のエレベーターを待ってるときに担当者の方に言われた、
『明けない夜はないからね』という一言は今でも忘れられません。

 いつの間にか、この闇はずっと続くに違いないと
心の中で思っていたと思います。

しかし、その担当者の方に言われた後には、
この言葉を信じる事が出来るようになりました。

 だから、もし、今、どん底にいる方がこの記事を読んでいるとしたら、
ぜひ、この言葉。『明けない夜はない』を信じてください。

 私がそうであったように、誰にも夜明けは必ず来ます。