それでもあきらめるな どん底人生

これからの人生を最高にしていくために

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謝罪をするときの心の持ち方

嫌でたまらなかった謝罪

どん底にいるときには、結構責められます。
調子が良かった時にはあれだけ持ち上げてくれたのに、

悪くなるとまるで人格まで否定されるがごとく
ダメ出しにあいました。

『だからダメなんだ。』
『信用ならない。』
『話にならない。』

当時の私には非情とも思える言葉が続き、
今までの態度は豹変し、上から目線に変わり、
頭を下げる事を求められました。

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だから、当たり前ですが、そんな仕事は嫌でした。
出来れば誰か変わってくれないかな?
そんな逃げ腰な気持ちが出てきたときには、
決まってストレス全開でした。

謝罪することで自分のプライドを捨ててる錯覚に陥ってました。
人生の敗者という烙印を押されている気がしていました。
そんな思いで心が押しつぶされそうでした。

 

無視されて気付いた事

ある日、謝罪に向かった先で
挨拶したら無視されました。

帰り際にもう一度目を見て挨拶しましたが、
また無視されました。 

『無視かよ』そう思いましたが。
深く頭を下げながら不思議な程、
冷静にあれこれ考えました。

『お前は負けたから頭を下げてるんだぞ。』
『頭を下げるべくして下げてるんだ。』
『相手に許しを乞う為に下げてるんだ。』

だったら、あれこれ考えるのはよそう。

無視されようが、罵声を浴びようが、
スタンスはただ一つ。

『心からのお詫びをする』だ。

許してもらえなくても、
たとえそれで目的が果たせなくても、
自分なりの本物のお詫びをしよう。

そう決めました。

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恐怖が去っていく

そう心に誓ったとたん、急激に怖くなくなりました。

それまでは、どう言えば許してもらえるかな?
どんな表情だと相手の感情を逆なでしないかな?
そんな事を考えているときは、常に緊張し、
恐怖に包まれている気がしていましたが、

本物のお詫びをしようと決めたとたん、
不思議な程、恐怖が去っていきました。

どんなに怒られようが、私が出来る事をする。
嘘偽りのない心からの謝罪。

ただそれだけに集中することにしました。


それでも心は傷付き折れそうになる

心からの謝罪をしたからといって、
心が晴れ晴れしていたわけではありません。

どんなに謝罪しても、相手に納得してもらえなかったり、
きつい言葉を言われたり、無視されたりします。

そんな態度に正直、心が傷付き折れそうにもなりました。

『そこまで言うことないじゃないか』
そう言いたくなりました。帰り道、悔しさがこみあげてきて
こぶしを握り、奥歯をかみしめたこともありました。

しかし、心のどこかで、自分なりに出来る限りの心は込めて、
『ちゃんと謝罪した』という気持ちが楽にしてくれてました。

もちろん謝ればいいってもんじゃない。
出来る謝罪やお詫び、挽回は続けるつもりです。

受けた恩は石に刻む

そんな謝罪の日々を繰り返す中、
私の事を心から心配してくれる人にも出会いました。

謝罪を受け止めてくれた後、迷惑かけてるのに、
私の健康を心から心配してくれる言葉を頂いたり、

何か出来る事はないかと聞いてくれたり、
実際に動いてくれて助けてくれたり。

『地獄で仏を見た』とはこのことかと思える事が
何度かありました。

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その時、ふと頭に浮かんだ言葉は、
長野県の前山寺の石碑に刻まれた言葉。

『かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め』

どんな事があってもこの恩は忘れない。
そして一生かかってもこの恩は返しきる。
そう誓いました。

きっと、恩をかけてくれた人は、何とも思ってないでしょう。
とっとと忘れてしまってるでしょう。

しかし受けた私は執念深く忘れないと思ってます。

たとえその方が、この世を去っても
別の形でも返しきる。

その決意が自分を奮い立たせてくれます。

まとめ

嫌でたまらなかった謝罪を通じて、
色んな気付きを得るなんて思ってもみませんでした。

しかし、嫌な事だからこそ、自分に返ってくることは大きいし
学べる事も大きいと知りました。

謝罪というものをどうとらえるか、向き合うか。

どう解釈してどう行動するかでこんなにも
違いがあるとは思いもしませんでした。

謝罪に限らず、『これ嫌だなあ、誰かやってくれないかなあ』
と思ったときには、ちょっと落ちついて、
この嫌な出来事の意味を考えるようになりました。

そこには、今の私に足りてない何かの気付きがあるように思えるのです。