それでもあきらめるな どん底人生

これからの人生を最高にしていくために

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いつも周りに人が集まる人の理由

どん底にあるときに、支え助けてくれた人から
たまには飯でもくおうやと電話がありました。

どん底で助けてくれた人

この人にはどれだけ世話になったか分かりません。
いや、この人がいなかったらどうなっていたか、
わからない。

あの時、自分ではどうしようも出来なかった時、
誰にも相談できない時、何度もその人の会社を
訪れては、相談していました。

少しでも解決につながる可能性のあるところ
にも幾度もついてきてくれました。

だから、その時、心に誓ったことがあります。
『この恩はかならず返そう』

頭に浮かんだのは、長野県前山寺の石碑にある

『掛けた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め』
の一言。

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自分なりの恩返しを探す

しかし、その人に恩を返すすべが見つかりません。
会社も順風に行かれているその方へ、
私が恩返しなど、おこがましいといったものです。

そこで気付いたのが、なにも恩を受けた方に
直接返すのではなく、今、どん底で苦しんでいる
助けが必要な人のお役に立つ。

どん底じゃなくても、階段で重い荷物を
運んでいるお年寄りの手伝いをするとか、
運転中に道をゆずるとか、そんなものから
はじめればいい。

そう思うようになっていました。

やはりその人の周りに人が集まる

その方のお誘いで、食事をしているとき、
話は、このコロナの状況に移りました。

『実は、Aさんのとこの会社、結構厳しくてね、
こないだ、行ってみたんだよ。』

とか、

『Bさんが突然やってきてね、
あれこれ相談して帰っていったよ』

など、知り合いの人達の名前が
次から次に出てきます。

そのほとんどが、かつての私のような
本当に困った』の最中にあり、戦っている人達です。

他人事には聞こえません。

その時、ふと思いました。
『何故、みんな、かっての私のように
この人の周りに集まるのだろう

他にも沢山、力を持った人たちはいるのに、
何故だかこの人に集中しているのです。

この人の周りにだけ人が集まるのです

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人があつまる


とことん相手の事を思う心

その答えはすぐに解りました。

この人は常に相手の事を深く考えている。
『こんなことで苦しんではないだろうか』
『あいつ、きっと一人で悩んでるだろう』
『どんな不安につつまれてるのだろうか』

そんな事を常に考えていると、動かざるおえなくなる。
つい、電話をかけてみて、会いに行って、
さりげない会話をしながら相手の事を想う。

そんな事をあたりまえに出来る人でした。

そんな当たり前のことにあらためて気づいた時、
私の中には大きな反省が生まれました。

どん底を経験しておきながら、
あれだけの恩に支えられながら、
『お前はどんな恩返しが出来ているのか?』

口では恩返しを語りながら、
その基本中の基本である、いま苦しんでる人の
本心をどれだけ知ろうとしていたか、
どれだけ親身になろうとしていたか。

残念ながら出来てませんでした。

出来る事は山ほどある

そう考えてみると、今やれる事は
山ほどあることに気付きます。

身近な家族への思いやりから、
会社の後輩へのサポート。
友人への電話、メール。
道で出会った人への対応。

その1つ1つの小さな対応の中で、
『この人は今、何を考えているだろう』
を習慣化する。

それを『私がお役に立てること』に
変えていく。

大きなお世話、余計なおせっかいになることも
あるかもしれませんが、それはそれ、
『余計な事してしまいました、すみません』で
すませればいい。

終わりに

私が恩返しをしたい、その人の周りに
いつも人が集まるのには、彼が相手の心を
感じる力を持っていると書きました。

でも、その人が、生まれながらにしてそんな能力や
性格を持ち合わせていたかというと決してそんなことはありません。

どちらかというと、若かりし頃の彼は、やんちゃで
多くの人に迷惑をかけてばかりだったと聞いています。

あるとき、聞いたことがあります。
『何故、そんなに私の気持ちが分かるのですか』と。

返ってきた答えは、彼自身が一度事業に行き詰まり、
自らの命を絶とうとした経験があるという事。

その時、あることがきっかけで生き延び今があるという事。

彼なりの人生のどん底があり、そこから這い上がってきた
経験があるのです。

でも、単に這い上がるだけではなく、その時の恩や思いを
しっかりと石に刻み込み、毎日繰り返し実践してきた。

その結果が、多くの人が集まる人を作り上げているんだと
思いました。

私にも出来る事がある。たとえそれが些細な事でも、
続けていれば、いつの日か、だれかのお役にたてることも
あるかもしれない。

焦らずコツコツ拘らずに、今日も暮らしていこうと思うのです。