それでもあきらめるな どん底人生

これからの人生を最高にしていくために

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断捨離から学んだ自分なりの生き方

この春、引っ越しました。
引っ越したというより、家を売りました。
50年以上住んでいた家を売却し、
連帯保証していた会社の借金の返済に充て、
残りで郊外のマンションに移り住んだというわけです。

www.k-genri.com

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そこそこ広かった一軒屋からマンションへの移動です。
おまけに今は亡き親父が住んでいた家でしたから、
かなりの物で溢れていました。

庭には古くからの大木があり、
倉庫には今まで見たことのない
我が家の骨董品が溢れていました。

 

一大断捨離を決意する

どう考えても、引っ越し先に持っていける量ではありません。
価値がありそうなものから、思い出がいっぱい詰まったもの。
安価だけどよく使ってるもの、高価だけどしまい込んでたもの。
様々です。

世の中には断捨離で有名な著者、著書がありますから
そこに助けを求めようと思いましたが、
やめる事にしました。

なにせ、その段じゃないほど、捨てなければいけないという事実が
目の前にありました。

基準は今使ってるかどうか

そこで設けた基準はただ一つ。
この1年で使ったかどうか。
ただ、それだけにしました。

サブルールは『問答無用』
どんな言い訳も通用しない。と決めました。

この時点で、外にある倉庫が丸ごと
廃棄の対象になりました。

次に書棚をかなりの割合で占有しているアルバム。
これは娘たちが写メってグーグルフォトの家族アルバムに
入れてくれてました。

よって全て廃棄。

ちなみに、一人居酒屋でグーグルフォト眺めながら
一杯やるのは私の楽しみの一つです。

使ってないけど、高価なものはネットで売る

我が家は古くから芸術が好きな
母と姉に対して、全く興味がなかった父と私に
別れてました。

よって、家の中の美術品といってもその価値が
解りませんでしたから、ネットで調べて
売ることにしました。

そこでわかったのは、業者さんによって評価が
実にまちまちだという事。

ある業者さんから2千円と言われた絵画が25万円で売れました。
古いピアノは0円と言われ、その上、
引き取り代をもらわないと、と言われていたのが、
21万で売れました。

はたして適正な価格はいくらなのか?
そう思案に暮れてる時に、

助けてくれたのが、ヤフーオークションでした。
訳も分からず500円で出品した陶器が
1万円以上の値を付けました。

これは高いだろ?と思ってたものが、
全く入札が入らない事もありました。

世の中の価値観は様々です。

断捨離で残ったものの共通点

かれこれ引っ越して数ヶ月が経ちますが、

『しまった、あれ持ってくればよかった』が
1度もありません。あれだけ捨てたのに、
ただの1度もないのです。

あらためて持ってきたもの、
今回の大断捨離に生き残ったものは、
高価なものもあれば、安価なものもあり、

古いものもあれば新しいものもある。
実に様々です。

あえて共通点をあげるとすれば、

『今』必要な者たちであるという事です。
そんな連中ばかりに囲まれて暮らしていると
なんだか快適さを感じてきます。

あれどこにしまったっけ?が
ほとんどなくなりました。

なにせしまい込む場所が
それほど、なくなったわけですから、
いとも簡単に見つかります。

それもしばしば活躍してくれるものばかりなので、
おのずとその居場所はわかります。

断捨離応用編

今回の引っ越し断捨離を通じて
これは、私の他の人生にも使えるのではないかと
思うようになりました。

まずは、不要なものを買わなくなった。
それって、今の私に必要?
使いこなせるものだろうか?

それが発展してきて、

この仕事は今の私に必要?
惰性やしがらみでやってる仕事じゃない?

このお付き合いは必要?
しかたなく、なれ合いで付き合ってない?
お互いにとって大切な付き合いだろうか?

この悩みは必要?
悩むことで、何か良くなるの?

そう考えて断捨離していくと
人生がどんどんシンプルになっていくのが分かります。

シンプルとは薄っぺらいという事ではありません。
多くの複雑系を知り尽くした上で、
不要なものをそぎ落とした先にあるもの。

私はそう理解しています。

果実がギュッと絞り込まれた
濃縮ジュースみたいな感じです。

意識しないとすぐ複雑に戻ってしまう

しかし、日々部屋の隅に埃がたまっていくように、
意識していないと、人生の埃も少しづつ溜まるものです。

これくらいいいか、の積み重ねが
いつのまにか身動きの取れない
複雑なものにがんじがらめにされている
人生に逆戻りしてしまいます。

その時は、もう一人の内なる自分と会話を
するようにしています。

『これは本当に私がやりたい事なんだろうか』
『これは私らしい、私が取り組むべきことなんだろうか』

慌てているときにはもう一人の自分は
現れてきませんが、幸い、ド田舎に引っ越して
窓の外には山並みが連なり、
都会の喧騒からは離れているこの場所では、
落ち着いてもう一人の自分との会話が
出来やすくなりました。

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 まとめ

断捨離という行為は、
自分の価値観を見直すことだと思います。

今回の引っ越しという大断捨離を通じて気づいたのは、
今までどれだけ他人の目を気にして、
しがらみにがんじがらめになり、
生きづらい人生を歩んできたかという事です。

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もちろん社会で生きていく以上、
自分中心の我儘が許されるわけはありません。

時に、協調し、妥協することが必要な時だってあります。

しかしそこには『自分で決めた』という
確信だけは残したいと思っています。

思い切って自分の基準で捨てるものを捨てる。
勇気をもって手放すものは手放す。

その先にしか、本当に求めるものとの出会いは
ないように思うのです。