それでもあきらめるな どん底人生

これからの人生を最高にしていくために

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究極のどん底にある今だけ許されること

会社がどん底にあるとき、
なんとか頑張ろう、くじけまい、
そう思ってました。

だから、色んな本を読んだり、色んな人の話を聞いたり
していました。

 

本から救われる事はなかった

 そこにあったのは、
『決して諦めるな』
『自分の心をコントロールしなさい』
『辛い時こそ、笑顔です』
『強く願えば思いは叶う』

その通りです。どれも素晴らしい言葉、
素晴らしい教えばかりです。

しかし、結局、それらの素晴らしい
教えや言葉に救われることはなかった
ように思います。

むしろ正論に出会うと、自暴自棄に陥り、心がひねくれかけていた
当時の自分から、否定的な感情がわいてました。

この先生たちが言ってることはどれも正論だ。
間違がちゃいない。

でも、この人たちは1度でも自分の命を
絶ってでも、逃げ出したいという
究極のどん底を味わったことがあるのか?

その上で、この言葉を勧めてくれているのか?

そんな被害妄想的な感情です。

今になって思えば、いかにどん底にいたとはいえ、
自分の弱さを他人のせいにしてただけです。

そして、一向に楽にならない苦しさを
誰かを否定することで紛らわせてました。

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支えてくれたどん底先輩

そうなると、誰にも会いたくなくなります。
一番嫌だったのが、自慢話を聞く事でした。

どん底の会社の経営者が、順風な会社の
経営者の自慢話を聞くのは、結構な苦痛です。

我慢して聞くので、顔に出ます。
それが嫌で早々に立ち去りたかった。

そんな、誰とも会いたくない時に、
食事に誘ってくれる先輩経営者がいました。

その人は、私の事は何も聞いてこない。
ただ、ひたすら『みんな大変だよね』
『どこぞで、こんな問題がある』
『あそこも結構苦しんでる』

そんな話を延々と一人で喋ってます。

そこには、格好いい言葉や、
素敵な癒しの言葉は何一つありませんが、
『しんどいのは俺だけじゃない』
そんな気持ちにさせられて

不思議に心が落ち着いたのを覚えてます。

後になって聞いた話ですが、
実はこの方にもどん底の経験がありました。

事業が上手くいかず、自らの命を絶とうとした
経験です。

そして、延々と、当時の状況を話してくれました。
会社にかかってくる電話がどれほど怖かったか。
月末になるのが嫌でしょうがなかった。
命を絶って逃げ出すしかないほど追い詰められていた。

どれも生々しく、私には痛いほど理解できる
事ばかりでした。

だからこの方は、今の私の心の隅々まで
見通していたんだと思います。

どん底経験の大先輩。
なにもかもお見通しの有難い存在でした。

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立ち上がるのは少しづつでいい

無理なものは無理だから無理しない

どん底にあるときは頑張ってました。
しかし、今冷静に振り返ってみると、
無理な事にも頑張ってました。

その頑張りは、時に自分の心と身体を痛めつけてました。

『無理なものは無理なのです』
冷静に見つめて無理だと判断することも大事です。

だから無理しない。

そこで使わなかったエネルギーを充満させておいて、
来るべき立ち上がる時の為に取っておけばいいのです。

 

自分中心に考える

我々は責任意識を持っています。
社員の為、仕入先の為、そして家族の為。

それは時に、我々を奮い立たせ、立ち上がらせてくれます。

人生を逃げ出したくなった時に思いとどめてくれる
大きな力を与えてくれるのもこの責任意識です。

しかし、場合によっては強烈に我々を責め立て
攻撃してくる存在でもあります。

そんな時は、あえて自分中心に考えてみる事です。
私にとって何が正しいのか?
何がハッピーなのか?
何が心地いいのか?

究極のどん底ではそんな自己中心発想は必要です。

たまには逃げる

どん底も長く続いていると、次第にそのレベルみたいなものが
解ってきました。

今日はまだ余裕があるな、とか
いや、結構やばいな、そろそろ限界かな?

そんな時はその場を逃げる事です。

外に出る、人に会わない、
自然に触れる、ひたすら身体を動かす。

たとえ大事な用事があっても、
何よりも優先順位が高いのは、自分の人生です。

どんなに後で怒られようが、
究極のどん底では、逃げもありです。

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誰かに甘える

たとえば、理解してくれる人を厳選して
少しだけ愚痴を言う。
その時には、
多少の他責があったっていい。

あるいは、
少しだけ弱音を吐く。
自分の心の奥底の、弱い本音に
外界の空気を吸わせてやるイメージ。

身近な誰かにそばにいてもらう。
他愛のない、話をしながら散歩するもよし、
美味しいものを食べるもよし。

身近な人は、分かってるから
何も聞かない、ただ聞いてくれる。

私の場合は妻でした。

どん底だから許される、甘え
そんな特権は使った方がいいのかもしれません。

まとめ

順調な時や、平時では、
頑張ることや諦めない事、前向きに進んでいくことは

大切です。

しかし、究極のどん底を経験した今、
言える事は、これらの言葉の前に
『どんな時も』をつけるのはやめませんか?

という事です。

どん底は時に想像を絶することがあります。
人によっても受け止め方が違います。

それを強い、弱いで単純に判断すべきではない

だから、究極のどん底で与えられる
特権は利用した方がいいと思うのです。