それでもあきらめるな どん底人生

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人生の目的は幸せになる事の方法

人生の目的は?

人生の目的は?と問われたら、あなたは何と答えますか?
そもそも、日常生活で『あなたの人生の目的とは?』
なんて問われる事は稀でしょうから真剣に考える機会が
少ないのかもしれません

しかし、日々を一生懸命に生きている中で、
たまには立ち止まって
『そもそも、私は何の為に生きてるのだろう』
と考えてみるのも、長い人生では必要な事かもしれません。

人生の目的は幸せになる事

目的と目標の違いは?それは目的が的であり、
最終ゴールであるのに対して、目標は標(しるべ)、
目的に到達する為の通るべき節目、目印、マイルストーンです。

目標は人それぞれ、様々ですが最終到着地点である人生の目的は、
人として生まれてきた以上、『幸せになる』ことではないでしょうか。

では幸せとは何でしょう?
周りを見渡すと幸せそうな人が大勢目に付ます。
事業を成功させ、高級車と高級ブランドで身を包んでいる人。
美しい奥さんとかわいい子供たちに囲まれている人。
誰からも美人と言われてちやほやされている人。

確かにお金はあった方がいいし、高級な物もあればうれしい。
もって生まれた美形で羨ましがられる事も悪い気はしない。
しかし、それらが私の人生の真の幸せなのだろうか。
そう考えてみるとなんとなく腑に落ちない。

高級車もブランドも美形も羨ましがらはするものの、
尊敬にはならない。
物はいずれ飽きる。所有することで得られる
快楽はいつまでも続かない。

これを一時的快楽と呼びます。

あるいは美形も毎日見られてると飽きられる。
きれいなだけの芸能人はいずれ消えていくのは
美人も見慣れてしまうとそれほどではないからだ。

これを快楽順応といいます。

この長い人生で真の意味で幸せになる方法とは何なのだろうか?

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その答えは『感謝される事』だと思うのです。
自分以外の誰かから、それが身うちであれ、赤の他人であれ、
ありがとう。あなたのお陰で助かりました。救われました。
あなたがいなかったらどうなってた事か。

本当にありがとう、ありがとう。
そう言われた時に、人は自分の存在意義が認められ幸せを感じる。
人間とはそんな生き物なんだろうと思うのです。

だとすれば人に親切にする事が、幸せなのだろうか?
もちろん、それは第1歩であることには違いない。
しかし、こう考えてみてはどうでしょう。

人は、生まれてきた時に既に
『あなたはこの部分でお役に立って下さい』
という役割が決まっていて、

それを使命と呼ぶ。

そして『使命の遂行が上手くいくように武器をお渡しします』と言われていて、
この武器の事を才能と言う。

他の人にはない、自分の強み。得意技。
辛いことも辛く感じない事
没頭出来る事。ワクワクする事。
この武器を使うと、難しい事も外と簡単に上手くいく

この使命を遂行出来た時には、多くの人が、
あるいは特別な誰かが、救われたり、楽になったり、
嬉しくなったりして『ありがとう』という御褒美が頂ける。

もちろん上手くいかない時もある。
上手に出来なかったり、失敗したりする時もある。

しかし、普通の人だと辛くてとっくに投げ出してしまう事も、
この使命と武器があればなんとなく上手くいくようになっている。

そんな技がいつのまにか身についている。
当の本人は、『たまたま偶然』とか、『奇跡的に』とか思ってるが
それら全ては必然。

与えられた使命を遂行できるようにとすでに仕組まれた事。
その使命を遂行出来た時に、我々は生まれた意味を知り、
人生の目的である幸せを手に入れる事が出来るのだと思います。

使命は出会うものでなく、気付くもの

では、私の与えられた使命は何なのだろう?
出生届を書く時に、太郎さんの使命は○△□ですと明記されていれば
解り易いのだが、そうはいかない。当然そこには書いていない。

それらは、考えて出会うものではなく、
今まで生きてきて、遭遇した経験や、出会った人達、
そこで生まれた感情の中にヒントが隠れている

あの窮地で偶然にも上手くいったとか、
あれやってる時はいつの間にか時間が過ぎるとか、
これだけは他人より上手に出来るとか。

そんな日常の他愛のない事に使命は潜んでいて、
『気付けー気付け』と呼びかけてくれている。

時には、困難という顔をしてやってくる。
痛みを伴う事で人は深く考えるから

時には、感動という顔をしてやってくる。
心が震える時、人は感じやすくなるから

だから、我々はそんな過去の出来事や感情を振り返り、気付けばいい。
『そうかあの時起こった時の意味はこれだったんだ』と。

そう考えると、『人生で起こる事には全て意味がある
そう思えてきます。

大切なことは、起こった事を他責にしないこと。被害妄想にならない事。
ここに陥ってしまうと、思考回路は攻撃や仕返しに向かい、
折角の気付きから遠ざかってしまう。

『倍返し』は一時的快楽でしかない。
そこには『更なる倍返し』が待っているかもしれない。
そんな無駄な事をやっている暇はこの人生にはない。

しかし、我々は理不尽に遭遇した時には全神経が集中し、
反撃態勢を取る習性があるようです。動物的本能が我々人間にも、
しかと根付いてい

同時に何が大切なのかを思考する力も授かっている。
これは動物にはない人間だけの特権である。使わないと損である。

ではどうやって使命を気付くか。
その具体的な方法については、次回に譲りたいと思います。

 

最後まで読んで頂いてありがとうございます。