それでもあきらめるな どん底人生

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天命を知る方法

会社をM&Aで売却して、事業を継続してもらい、
従業員も全員雇用継続で私のお役ももうじき終りに近づいてます。

この仕事しかしてなかったので、ある意味会社バカです。
そのバカが、新しい事を始めようとしてまず最初に考えたのが、
『私は何がしたいのでしょう?』でした。

そう、大学生が社会に出る時に考える事です。
いや、場合によっては小学生のころから
自分の人生の、目標をしっかりと見据えて生きてきた
若い人達も大勢いる事でしょう。

しかし、私の場合、先に書いた理由で、50代後半に
突然、この質問がやってきました。

おまけに、会社を辞めるので、金銭的な余裕はありません。
家族をしっかりと養っていかなければなりません。

よって、あれこれ考えてる時間的余裕もありません。

天命を考えてみる

私は何がしたいのでしょう』そうやって考えてみると、
あれこれ質問が沸いてきました。

私は何が得意なのでしょう?
私は何が欲しいのでしょう?
私には何が向いてるのでしょう?

そうやって考えてて、いくつか思い当たる事があります。

ある事をやってると、いつの間にか時間が過ぎていて、
終わった後に、何となく充実感がある時や、

周りから大変そうに見えても、私は一向に辛くも嫌でもなく
心地よい疲れをもたらしてくれる時がある。

そんな時には、いつの間にか、知らずしらずのうちに、
上手に出来るようになったり、それなりの結果が出たり、
評価され、感謝される事があるものです。

一方、やってもやっても時間が過ぎず、成果もない。
誰からも評価されずに、心が酷く疲れ果て、
ストレスというやつに苛まれる時もあります。

そう考えると、前者は私に与えられた特権みたいに
思えてきました。

生まれた時から、与えられている得意技
決して、自分の努力で手に入れた後天的なものではなく
持って生まれてきたもの。つまり与えられたもの

それは、どんな人にもあると思うのです。

しかし、よく考えると、そんな貴重で有難いもの
どこぞの誰かがタダでくれる訳はないはずです。

そうひねくれて考えてみると、そこには、
壮大なある理由を感じてしまいます。

それは天命です。

天から与えられた能力を使って、命じられた使命を
世の中の為に全うする事。

自分の損得の為だけに使うのではなく、
世の中の誰かの為に使うからこそ、
何故だか不思議なほど上手く行く。
それを凡人である我々は奇跡と呼ぶけれど、

実は必然

全ての人に与えられた天命

例えばある人が、『有名になりたい』という夢を描きました。
そして、その人は、ミュージカルを志しました。

そこで、その人は、類まれな才能を発揮し、
有名なミュージカルスターになる事が出来ました。

しかし、同時にその人は、舞台を通じて、
多くの人に、『感動と勇気を与えました』

他のある人は『お金持ちになりたい』という夢を描きました。
その人は事業を起こし、『何が売れるのか』を必死に考えましたが、
一向に上手く行きません。

そこで、『世の中にはどんな困りごとがあるか』を考えてみて、
『だったらこんな商品があればいい』に思い至ります。

そして、その商品で多くの人が、悩みから解消され、
その人には感謝というお金がたくさん集まりました。

実は、『有名になりたい』も『お金持ちになりたい』も
大局的にみれば、手段の1つにすぎなかったのです。

本当にやりたかったのは、感動と勇気を与えることや、
困りごとを解消してあげることだったのです。

つまり、これがその人の天命。
自分の命を世の中の為に使う方法

与えられた命が活かされる方法です。

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自分の天命を知る方法

しかし、この年になるまで、いや、会社を去る直前になるまで、
この天命について考える事はありませんでした。

だから、『私の天命は?』と聞かれても、
スラスラと出てくるはずもありません。

そこで自分にいくつかの質問を投げかけてみました。

①私にとって大切なものは何だろう?

②どうしても、獲得したいモノ、実行したいモノは何だろう?

③何が得意?何が好き?何が向いてる?

④上の①~④は何故そう思うの?何故?何故?そして何故?
そうやって、深掘りしていたら、次第に少しづつ、見えてきました。

私が本当にこの人生でやりたかった事が。
それを、僭越ながら、天命と呼ばせてもらってます。

根拠のない自信

今までやった事のない、新しいチャレンジが始まります。
本音を言うと、不安でつぶれそうです。
もっと、リスクの少ない、安定もあるにはあります。
しかし、あえてチャレンジする事にしました。

しかし、自信はあります。
それは、自分の能力を信じることから生まれる自信ではなく、
根拠のない自信です。

しかし、①~④の質問を何度も繰り返してると、
不思議に、この根拠のない自信がみなぎってくるのです。

与えられた天命を遂行する時には、それを与えた大いなる何かが
必ず応援してくれるはずだ。といった自信です。

それらはきっと、『たまたま、偶然』『運がよかった』とか、
『奇跡が起きた』といった形で訪れてくれると信じています。

 

まとめ

人には誰しも、生まれた時に与えられた使命があります。
この使命を気付くことなく生涯を閉じてしまう事もあります。

しかし、大いなる何かは、折角与えたその人だけの使命を
なんとか気付かせようとしているのだと思います。

時には、驚くほどの、ラッキーを与えたり、
時には、死にたくなるような困難を与えたりしながら。

そして、それらのきっかけで気付いた時、天から与えられた使命は
その人の天命となり、人生が変わっていくのだと思います。

『人生で起きる事は、すべてよき事』
その言葉の意味が今頃になって解るような気がしています。