それでもあきらめるな どん底人生

これからの人生を最高にしていくために

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人生で出会う困難には意味があった

人生で、これでもかという程の困難に遭遇した時、

『何故、私だけこんな目にあうんだ』そう考えてしまいます。

一つの困難が去ったと思ったら、立て続けに別の困難が襲ってきたりすると、
なんて俺はついてないんだ。と頭をかかえ、
俺の運命なんて、所詮こんなもんだ。
と自ら勝手に烙印を押してしまいそうになります。

そんな時、すぐそばで、何の苦労もせずに、
人生がスイスイうまく運んでいる人が目に入ります。

いかにも楽しそうです。うらやましくもあり、
つい嫉妬心も生まれてきます。
持って生まれた境遇、運命の違いだ。
そうやって諦めてしまいそうになる。

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そもそも人生は苦難の連続

しかし、一生なんの苦難もなく、
ハッピーに過ごして行ける人生はありえません。

羨ましい人生に見えるその人にも、人には言えない苦しみや、
悩みは必ずあるものです。

生きていると、襲ってくる苦難からどんなに逃げても
逃げ切れるもんじゃない。
逃げてもまた襲ってくる。その度に身をかがめてばかりいては、
重な人生はあっという間に過ぎてしまいます。

つまり、生きていく以上、困難や苦しみはあって当たり前。
そう理解することからスタートするしかありません。

困難に立ち向かっていく力をつけるしかない。
耐える忍耐力をつけるしかない。
覚悟する強さを身につけるしかない。そう腹をくくる。

では、どうやったらそんな強さを身につけられるのだろう

そうやって過去を振り返ったら、自分が少しだけ強くなれた、
前よりも成長出来た。そう実感できるのは、
間違いなく、困難に遭遇した後でした。

地べたにはいずり、泥水を飲みながら、
『このままでは終わらない』と心に誓い、拳を握りしめた時。

不安と恐怖に気がおかしくなりながら、
必死に自分を失わないよう、魔界に足を踏み入れないよう
必死で堪えていたあの時。

何かが、自分の中に芽生えていたように思います。
それは順風満帆の時、平時の時には感じなかった何かです。

人生で起こる困難は与えられるもの

その何かは、どんなにお金を出しても、買えるものじゃない。

もし、自分の大切な子供に何かを残せるとしたら、
家でも、お金でも、財産ではなく、自分がこの世を去った後でも、
力強くこの世界を生きていける、
自らの力で困難を乗り越えて行ける強さだと思うのです。

どんな素晴らしい授業より、教科書より
生身の体験に勝る教えはない。
だとすれば、日々この人生で自分に起こる困難は、
人生で必要な何かを学ばせてくれているのではないだろうか。

困難にばかり目を向ければ、『なんで私だけ』と悲観的になるものも、
これから訪れる未来の為の経験。
強くなるための修行。
何かを成すための与えられた必然。

そう考えると、元気も湧いてきます。

これは不幸な出来事ではなく、
起こるべきして起こっている、私の使命遂行のための教え。

だから、下を向いてないで、
しかと目を見開いて、学ぶべきを学び、
気付くべきを気付き、強くなれという与えらえた出来事だと
思う事で、気持ちが大きく変わり出します。

人生で出会った仏様に共通なもの

私が本当のどん底のど真ん中にいる時、
何人かの仏様に出会いました。

仏様と言っても生身の人間です。

仏と呼んだのは、私が今ここにこうしてブログを書いていられるのが
その人たちのお陰だからです。

彼らがいなければどうなってたか分からない。
という事実があるからです。
それほど、有難い存在でした。

でも、彼らには共通したものがありました。
それは数年前、彼ら自身がどん底を味わい、喘ぎ、
自らの命を絶とうとする直前まで追い詰められた
経験を持っているという事です。

そこで彼らが何を見たかはわかりません。
しかし、その経験が私を救ってくれたことだけは
間違いない事実だと思うのです。

彼らは強く、たくましく、そしてとてつもなく優しい人間通です。
そんな彼らに追いつきたいと、思っています。

まとめ

人生は一度きりです。
いずれ終わりは必ずやってきます。

だとすれば、その終わりがやってきたときに、
何を獲得したかを問うよりも
何を残せたかを問いたいものだ。

まだまだ続くどん底の中で、日々、不安と闘いながら
そう思うのです。