かつて、会社が窮地にある時、
なんとか踏ん張ろうと、歯を食いしばってた時、
ふと、『もういいかな』と諦めそうになった事がありました。
諦めるとは、投げ出す事。
今まで人生を賭けてきた事を放り出す事になります。
それは、多くの人を巻き込んでいる会社に関する事でしたから、
当然、大変な迷惑がかかる事になります。
それでも、そんな大切な事を投げ出してもいいかと思うほど、
当時の私は、余裕をなくし、我を忘れそうになっていました。
本棚で見つけた古い本
そんな時、ふと自分の書斎の本棚で、いつか読もうと思いつつ、
読まずにしまってた本が目にとまりました。
それはヴィクトリーフランクルの『夜の霧』でした。
第2次世界大戦時にナチスによって強制収容所に
送り込まれたユダヤ人の心理学者が書いた本です。
買った時、どんな思いで手にしたのかは思い出せませんでしたが、
なんとなく、暗いイメージを感じてそのままにしていました。
その本には、強制収容所での想像を絶する状況が描かれており、
当時の私をぐいぐい引き込んでいく不思議な力がそこにはありました。
極寒の地で、過酷な強制労働を強いられ、
看守から殴られ、ろくに食事も与えられない劣悪な環境の中にあって、
2種類の人に分かれていたとフランクル言います。
希望を抱けない絶望の中で、死に絶えていく人。
死んだも同然で生きている人。
まだ生きているけど弱っている人のブーツをはぎ取り、
パンを奪う人。
考えたら当然なことなのかもしれません。
それだけ生きるのが大変な状況だったのです。
しかし、一方で、自分も飢えているのに、
弱った人にパンを与え、励ます人がいました。
そして、ある日、それらの一人が、
遠くに沈む夕日の美しさに感動し、
皆で見に行こうと言いだします。
そこで、かれらがうたった歌が、
『それでも人生にイエスと言おう』でした。
それでも人生にイエスと言おう♪
何故ならその日はいつか来るから♪
そして私たちは自由になる♪
そして、フランクルはこう言います。
『どんな人生にも意味がある』
この人生のどこかに、あなたを必要とする『何か』がある
あなたを必要とする『誰か』がいる。
私たちは、常にこの『何か』『誰か』によって必要とされ
『待たれている』存在なのだ。と
(夜と霧より)
フランクルの逆境の心理学に目を覚まされる
この文章に出会った時、なんだか急に目が覚めた気がしました。
確かに今、私がいるところ、境遇は大変厳しいものだ。
しかし、これだけは言える。『下を向いていたって解決しない』
『諦めたらそれまでだ』『きっと何か方法がある』
『たとえ、いい結果で終わらなくてもこの経験は必ず生きる』
そんな気持ちが湧いてきました。
これが、フランクルが逆境の心理学と言われる所以と気付きました。
どん底の経験とフランクルの教えから学んだ事です。
あれから数年が経ちました。決して全てが解決したわけではありませんが、
あの時の経験と、当時偶然本棚に眠っていたフランクルの本との再会のお陰で、諦めずに今ここに立っていられます。
そして、自分なりに、私を待っている『誰か』『何か』に気付く事が出来ました。だから、今、こう思うのです。
『人生で起こる事には全て意味がある』と。
あの時、そう『もうやってられない』と投げ出す一歩寸前までいった時、
投げ出さずに踏みとどまったのは何故だったのか。
それは決して自分の意思が強かったからでも、
人生を放り出す勇気が無かったからではない。
それは、自分を越えた何かが、そうさせたとしか思えないのです。
その何かは、今も私のどこかにあるように思います。
常に、見張ってくれて、応援してくれているように思います。そして、
この何かは私を含め全ての人にあると思うのです。
好き、得意は与えられた武器
この何かは私に期待をしてくれています。
その為に、私にしかない才能という武器を与えてくれています。
他の人より、優れた私だけの才能。子供のころには、それほど意識せずに、
これは人より上手だな、上手くいくな、くらいにしか思ってなかったけど、
今になれば、すごい事だ、有難い事だと気付かされます。
人より、数学が得意だったり、英語の上達が早かったり、
パソコンが上手だったり、野球が上手かったりするこれらの才能は、
実は、何かを成し遂げる為に授かった預かり物のようなものだと思うのです。
自分が苦労して手に入れたものでない、これらの才能は、
『ちゃんと期待に応える事に使いなさい』『決して無駄にするんじゃないよ』
そう言われているように思えてきます。
その期待こそ、『私の使命』なのではないでしょうか。
この私にしかない、私だけに与えられた使命を遂行する時、
私の人生は活き活きと輝き、幸せな時間に変わって行くと思うのです。
今、あのどん底の時期を振り返ると、その事が明確に理解出来ます。
しかし、自分の使命に出会うのに、
なにもどん底を経験する必要はありません。
それは、ただ、自分の今までの人生を静かに振り返り、
素直な心で気付きを得る事ではないでしょうか。
そこには、これからの人生の大きな道標がしるされているように思うのです。