それでもあきらめるな どん底人生

これからの人生を最高にしていくために

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本当にやりたい事をやって人生を輝かせる

長年経営してきた会社を手放して、
ふと考える事があります。
『いったい私は何をしたかったんだろう』と。

考えてみるといつも余裕がありませんでした。
社長室で数字ばかりを眺めてました。

『この商品の売り上げが落ちている』
『このお客様の利益率がおかしい』
『原因は何なんだ』

『このままだと、また借金を増やさなければ』
『さて、金融機関には、どんな言い訳をしたものか』

そんな事を私は何のためにやっていたのか?

それは、

会社を存続させる為。
社員さんの雇用を守る為。
仕入先やお客様に迷惑かけない為。

その一つ一つはもちろん大切な事ですが、

『何の為に仕事をするのか?』
の問いの答えにはなっていない事に気がつきます。

会社の存続は、会社が果たすべき目的のあくまで手段です。

この会社がある事で、こんなことを成し遂げたい、
こんなお客様にこんな喜びを提供したい。

そんな本来あるべき目的が、いつの間にか薄れていました。

かつて描いた夢を思い出す

そういえば、昔はよくお客さんのところに出向いてました。
この商品のどこが使いづらいかとか、
どう変えれば喜んで頂けるかとか、

そんな事をやってると、
色んなお叱りを受けることもありましたが、
なんだか毎日が充実してたことを思い出します。

時には、感謝されたり、褒めのお葉書をいただいたり、
あるお客様からは、感謝のしるしですと
お菓子を送ってくれた方もいました。

朝礼でみんなに発表して
『もっと喜んでもらえる商品をつくろう』
そう話していたものでした。

それがいつの日か、次第に業績が厳しくなってくるに従い、
行き場所はお客様の下ではなく、工場になりました。

原価を下げる為に、もっと効率よく作れないのか。
省ける工程とか、部品の共通化とかできないか。
そればかりに目を向けるようになりました。

確かに企業は効率を求めなければなりません。
しかし、効率だけではお客様の満足は満たされない。

その事に、会社を手放すまで気付けませんでした。

以前は、
『我社独自のお客様に感動してもらえるような商品をつくる』
そんな夢を描いていた事にあらためて気付きました。

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私が本当にやりたい事を再度考えてみる

では、あの資金繰りに厳しかった時に、工場や銀行に行かずに、
お客様のところへ行き、ニーズを探して、
喜んでもらえる商品を開発すれば
我社は救われたのでしょうか?その答えはたぶんNOです。

市場の環境や競争要因や、かつての強みが変わってしまったとき、
商品の開発だけでは結果は変わらなかったと思います。

もちろん、私の判断の間違いが一番大きな原因ではありますが、

時代の変化の中で、淘汰されるべく淘汰された。
それも事実だと思っています。

しかし、会社の経営は退いたとはいえ、
私の人生が終わった訳ではありません。

何が出来るより、何がしたいのか

かれこれ1年ほど、
『さあ、これからどうやって生きて行こう』と
考えて過ごしてました。

結論から言うと、とても辛い1年でした。

年齢的にも今から出来る事なんて限られてます。
かといって、どこかの会社に新入社員として雇われても、
お役に立ちそうもありません。

今までの経験を活かしてとは思いつつも、
そう簡単ではありませんでした。

そう考えると、自分を責めて、後悔し、焦りが募り、
心が苦しくなる。そんな1年を過ごしていました。

きっとこのままでは鬱病になるんだろうな。
そんな事を感じながら、

どうせなら残りの人生、やりたい事をやって生きて行こう。
そう思うようになりました。

つまり、出来る事を考えるより、
前提や、制約条件を置いといて、
『やりたい事をやる』を優先することに決めました。

どん底の経験から得た教訓 『人生、なんとかなるもんだ』

ここ数年のどん底経験が私に教えてくれたのは、
『どんな難問でも、どこかに解決策は必ずある。』

というものです。

たとえその結果が100点ではなくても、
必ず、今より良くなる解決策はある。

その解決策を積み上げて、継続していけば、
いずれ目指すべき目的地には到達できる。

道順は、当初描いていたものとは変わるかもしれないけれど
結果的に到着すればいいじゃないか。

たとえ時間がかかっても。

それが、あの苦しかったどん底が私に教えてくれた
教訓です。

本当にやりたい事のヒントがある場所

『では、私はこれから残りの人生で何をやりたいのか』

その答えにはすぐに出会いました。
それは、私の過去の経験が教えてくれました。

その1つは、

特に強烈だったここ数年のどん底です。
このどん底は、長年
『違うだろ、それじゃないだろ』
『お前が本当にやりたいことはもっと別にあるだろう』

そう言っているように思えました。

逆に、私が過去の人生で最も輝いていた時期
『これが本来のお前だろう』
『頑張ったところが正解だから輝けたんだ』

そうも言ってるように思えました。

きっとゴールの到達はない だから道中を楽しむ

きっと私が掲げた残りの人生の目標にたどり着くことは
ないと思います。

何故なら、それは壮大な目標であり、かりに
到達したとしてもさらに上の目標が出てくるからです。

ですから山登りのように、山頂に到達したという
達成感は得られないかもしれません。

だから、その分、道中を楽しもうと思うのです。
『こないだまで出来なかった事が出来るようになった』
『喜んでくれた人が1人から3人に増えた』
『日々、私が私らしくいられる』

そして、いつの日かこの世を去るときに
自分の人生を振り返ってみて、
『へー結構登ってきたんだ』
そんな事をつぶやきつつ、
その景色を楽しんでみようと思うのです。

その日が来るまで、今日を楽しみながら
私らしく、イキイキと登っていこうと思うのです。