それでもあきらめるな どん底人生

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理解するための聴き方と自分の為の聞き方の違い

人の話はちゃんと聞きましょう

小学生の時にそう教えられました。

しかし、それ以来、大人になるまで、
どうやればちゃんと聞けるのかを教わった記憶がありません。

そして、今、自分や周りの多くの人たちが、人の話をちゃんと聞けないことで

色んな問題を抱え、悩み苦しんでいる状況を目にします。

全てとは言いませんが、多くの問題はちゃんと聞く事で
解決できるのではないだろうか。
そんな小学校でならった基本的な事を
我々大人はなおざりにしているのではないか?そう思ってしまいます。

ある日の事、妻が話しかけてきました。内容は仕事の話。

彼女が進めたい仕事の仕方に対して、会社や上司の理解が得られず、

とはいえ成果を出す事を求められてるが故に、一人悩んでいるというもの。

チームで仕事をしている誰もが抱える非常にオーソドックスな悩みです。

そして妻と私の二人だけの会話だった故に、話の大半は、愚痴や批判になりました。

上から目線の聞き方

それを聞いていた私が咄嗟に思った事。

それは、『なにかいいアドバイスをしてやろう・・』でした。

妻から、『なるほどそれはいい考えだね、流石です、ありがとう』
とでも言ってもらいたかったのかもしれません。

ですから、私の聞き方はアドバイスをするための聞き方になりました。
どう気のきいたアドバイスをしようか、どう感心してもらえる答えを出そうか。

その為の『聞く』になってました。つまり聞いているのではなく、
次に自分が喋る内容を考えてました。

そもそも、何かアドバイスをしてやろうなんてまったくもって上からです。
私の方が、社会人としても、チームマネジメントの経験も長いんだから私が正解だ。
知らずしらず、そう思っていたんだと思います。
しかし、その時には気がつきませんでした。

批判的聞き方

私のありきたりな正論じみた返答を聞きながら、
彼女のボルテージは多少ヒートアップしてきました。
自分が受けているものがいかに理不尽で不当であるかを強調し始めました。

その時私の頭に浮かんだものは、
『批判しても始まらないじゃないか』
『批判よりも自分に出来る提案を考えなきゃ』というものでした。

そして、どこか私の中で『そんな考えじゃ駄目だ』という
批判的な決め付けが起こっていました。

この批判的な聞き方というのは、言葉にしなくても相手に伝わります。
空気感染なのか、私の微妙な表情や行動の変化なのか、
頷き具合なのか、解りませんが、
必ず相手に伝わるエネルギーを出しています。

その後、彼女の機嫌は悪くなり、口を閉ざしてしまいました。

ばかな私はそうなって初めて、自分の過ちに気付きます。
時すでに遅しです。

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聴く


聞く時は全身全霊で聴く

後で、何がいけなかったかを冷静になって考えました。
そもそも妻は、この問題を私に解決してもらおうなんて
これっぽっちも考えていなかったんです。
ただ、聴いてもらいたかったんだろうと思います。
そして自分を理解してもらいたかっただけなんです。

ただ、会話をしたかったんだろうと思います。
それなのに、私は上から聞いて、批判的に答えてしまいました。

 妻じゃなくても『もういい』になってしまうのは当然です。

そうやって、私を含めた多くの大人は『理解してくれないからもういい』
そう何度も言われてきたんだと思うのです。

だとすれば、下手なテクニックを使わずに、役に立とうとか、
為になってやろうとかも置いといて、
聴く時はとことん聴く。

目の前のこの人を理解すると決めて、真剣に聞く。
相手の頭の中、感情の場所、見えている景色をあらん限りの力を用いて
理解しようとする。

そんな時、聴き手の眼の色は深くなり、
頷きや、行動が自然体になり、もっと聴きたくなって質問したくなる。

『○○と思ったんだー』『それって言いかえると○○て事?』
『それで?それから?』

これらは、コーチングの傾聴のスキルで学んだことです。

学んだ後にはちゃんと聴ける気になってました。
しかし、それらはあくまでテクニックです。テクニックを使う為には、
その大前提である、『心から理解したいと思う気持ち』が必要だったのです。

そこには雲泥の差というものがあります。

それは、スキルとして使う時には、良い結果を出すために、
相手をコントロールしようとする打算が見え隠れします。

これは不思議な事に相手には解り易く伝わってしまいます。

一方の真剣に聴くときには、ただただ、聴きたい、
理解したいという気持ちしかない。
上手に答えようとか、解らせようとか、そんなものもない。

あるのは理解しようと思う純粋な気持ちだけ。

繰り返すことで、少しずつ聴けるようになる

次こそは上手くやろう。そう思っていた矢先、
そのチャンスは数日後に訪れました。

別の件で、妻がまた話掛けてきた。
上から聞かない、批判的に聞かない、テクニックは使わない。
とにかく理解したいという気持ちだけで聴く。その事だけに集中しました。

気のきいたアドバイスが出来なくても、がっかりされても、
彼女の頭と心の中の風景を共有しよう。そう思って聴きました。

相手の心の中はそう簡単に理解することは
難しいのかもしれません。
それは子供のころからの経験や、価値感、
正確など様々な要因によって変わる事だから。

しかし、前回に比べて妻は落ち着いて、多少長い時間、
喋ってくれました。

結果的には気の利いた事は何一つ言えませんでしたから、
感謝も感動もありませんでしたが、
どこか少しだけすっきりした彼女の表情を見る事が出来ました。

まとめ

世の中には、傾聴の達人がいるものです。
何か知らないけど、この人に話を聞いてもらったら
すっきりして元気になれた。

そんな人です。そんな人には、長い人生で様々な経験の中で、
深く悩み、考え、そして決めてきたであろう姿が透けて見えます。

そんな素敵な人間通に近づきたいものだ。そう思ってしまいます。