それでもあきらめるな どん底人生

これからの人生を最高にしていくために

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思い通りに行かない時の思考法

世の中は思い通りに行かない事もある。
というか、思い通りに行く方がまれなのかもしれません。

特に、『おい、そりゃーないだろう』
『どう考えたってあんたが間違ってるよ』 
そう言いたくなる時でも、
じっと堪えて呑みこまなきゃいけないときもある。

テーブルひっくり返して『ふざけんじゃねー』
『やってられるかー
そうやってブチギレられたらどんなに楽だろう
そう思った事がない人なんていないでしょう。

バスでの出来事

先日、バスに乗ってるときの事です。
中年のビジネスマンらしき男性が杖を持って乗ってきました。

丁度、席が空いてなく、前方に立ってたのを運転手さんが見つけて
『大丈夫ですか?』と声をかけました。

それは、暗に『どなたか席を代わってもらえませんか?』
のサインだと思いました。
今度は、近くに座ってた御婦人が
『大丈夫ですか?』と声をかけました。

すると男性は、『大丈夫ですよ』と不機嫌そうに答えました。
その声のトーンで御婦人は席を譲るのをやめました。
そこに、運転手さんが再度『大丈夫ですか?』と聞きました。

するとその男性は、ツカツカと運転席まで歩み寄り
『何で大丈夫かと何度も聞くんだ』と怒鳴りました。

一瞬、社内は何とも言えない雰囲気に包まれました。
運転手さんは『お客さんが大丈夫かなと思っただけです』と
丁寧に答えてましたが、しばらくお客の怒りは収まりませんでした

多分、運転手さんの問いに、お節介や、押しつけがましさを
感じた乗客は多分いなかったはずです。

そのお客はバスを降りた後、杖を使わずにすたすた歩いてました。

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この親切な運転手さんはどう思っただろう?
『紛らわしいもん持って乗ってくんじゃねー』だろうか
『やってらんねー、もう声かけんのやーめた』だろうか
あるいは、
『怒られても、お客さんを思いやる気持は持ち続けよう』
だろうか
あれこれ考えながらバスは過ぎて行きました。

志らくさんのコメント

先日、グットラックを見ている時の事、
世の中の理不尽や矛盾の話になったとき、
落語家の志らくさんが、
噺家は修行の時、何度も何度も矛盾を経験される。

その矛盾の経験を積むことで、人間としても成長し、
本物の落語が出来るようになっていく。そんなもんだ
と話されてました。

自分で決める

『どう考えたっておかしいだろ』
『なんで俺がこんな目にあわなきゃいけないんだ』
そんな出来ごとに遭遇した時、

自暴自棄になって怒りにまかせて行動することも出来ます。
あるいは、
『これも人生だ。こんなこともある。』
『私は決して間違ってはないが、この困難には、
きっと何かの意味があるに違いない』
そう解釈する事も出来る。

決めるのは自分。
決めた事には責任が伴い、
その後の自分に降りかかる状況が変わってくるのも間違いのない事実。

自分に起こった事をどう解釈してどう処するかを決める。
反応的に怒りに任せるのは、相手の理不尽を受け入れている証拠
これは自分で決めた事にはならない。

怒るなら怒るなりに、『ここはちゃんと怒るとこだ』
『それが私の選択だ』そう自分で決めたなら、
ちゃんと怒るべきだ。

あるいは、『あいつの言う事は私は認めない』そう決めたなら、
受け入れず、許可しなければいい。

相手にこちらの考えを認めさせる必要があるのなら、
論理的に、解り易く伝える努力をする。

その必要が無ければ、堂々と『私は認めない』という顔を押し通す。

大切なのは、感情に支配されず、相手の言葉をうのみにせず、
ちゃんと自分で考えて答えをだす。解釈する事ではないでしょうか

まとめ

生きてると、理不尽や矛盾には幾度も出くわすものです。
しかし、それを受け入れるも受け入れないも決めるのは自分次第

たとえ、力関係、上下関係でのまざるおえない事があったとしても
自分なりの解釈は変えなければいい。
その体験は、先の落語家の修行のごとく、我々の生きざまを
より深く、色濃くして行ってくれるものだと思うのです。