それでもあきらめるな どん底人生

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本当の責任の取り方

会社を売却したけれど、いまもその会社に残ってます。
『新しい体制が出来上がるまで私には責任がある。』
それが、今日まで残っている理由です。
それは、私が最低限果たすべき責任だ。そう思い込んでました。

本当の責任を理解する

しかし、一方で新しい体制は色んな苦しみをともないながら
生まれようとしています。
まさに、幼虫が成熟し、殻を破ってこの世に生まれ出すような
そんな感じです。
そんな変化のタイミングで、
いずれ去っていく私になにが出来るのだろう。
もしかしたら、かつての経験を振りかざして頑張る事は、
逆に足を引っ張ることにはなりはしないだろうか?

そんな疑問が沸いてきます。『いったい俺はどうしたらいいんだ』
そんな事が頭の中で渦巻いてるときに1本のメールが来ました。

他人には言えた私の本音

それは、かつて所属していたボランティア団体のリーダーからでした。
相談があるから会ってほしい。とだけ書いてありました。

どんな相談だろうと想像しながら待ち合わせ場所に向かいました。
相談は『今の職場を離れようかどうか迷ってます』というものでした。

彼女はとても優秀なだけに、周りの多くの人から頼られ、
『あなたがいないと組織が回らない』とまで言われる人。
人間としても素晴らしい非のつけようがない人。

『実は、あるところから、お誘いを受けてます。』

『私が本当にやりたい仕事がそこにはあるんです』
『でも、今、私が抜けることで迷惑がかからないかと悩んでます』
そう彼女は言っていました。

 

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聞きながら、『なんだ今の俺とおんなじじゃねーか』と思いながら、
自然に言葉が出てきました。

『俺も責任を果たさなきゃとまだ会社に残ってるけど、
それって、思い上がりじゃないか?と思うようになってきたんだ』

『私が抜ける事は迷惑をかける、無責任だ』と思いながら、どこかで


『この組織は私がいないと駄目なんだという思い上がりがある事に気付いたよ。
でも、現実は、そんな事はない。』
『そりゃーあれこれ知っている経験豊かな人がいれば便利なのは当たり前。
だけど、そこに居続ければ、その人じゃなきゃ駄目だという状況を作り出してしまう。組織は属人化されそれは弱体化につながる。』

 あれこれ考えてた自分なりの自分に向けての答えが、
相談されたことで整理され、
あたかも自分のまとまってた意見のように口から出てきてました。

いなきゃいないで何とかする それが成長

次のリーダーは、当初は大変なのは間違いないでしょう。
慣れない事をやる事は誰だって大変です。
しかし、『もうあの先輩はいないんだから私がやるしかない』
『今までは聞いたら答えを教えてもらったけど、
これからは自分で考えて決めるしかない』

その大変さは、より時代に合った新しい組織を生み出すきっかけになる。
なによりも、その人自身が大きく成長する。

つまり、『私がいないといけない、責任を果たさなきゃいけない』
という思い込みは、後輩の成長するチャンスを奪い、
組織が新しく生まれ変わる足かせになるかもしれない
ということに気がつきました。

『そうだ、私の責任遂行は、居続ける事ではなく、離れることだ』

たとえ、『末節を汚しやがって』『最後は無責任だったよな』
そう言われたとしても、
『これが俺流の恩返し』そう思い定め、
荷物をまとめてとっとと出て行く事が、
正しい事なんだと思い至りました。

起こる事は全て必然

会社が大変だった時の事を今振り返り、気がつく事があります。

あの時、偶然に掛ってきた電話で問題が解決した事。

たまたま歩いていた銀行の裏口で偶然ばったり出会った
あの人との事でその後が大きく変わった事。

読み終えた新聞をゴミ箱に捨てた後、
気になって読み返した記事で今がある事。

そのどれかが欠けていても今は無いという事実

そう思うと、偶然と思っていた出来ごと全てが
必然であったと気付かされます。

こんな話をすると『スピリチャルですか?』
と引かれる事がありますが、

かつて一度もパワーポイントやパワーストンには縁が無かった私に
現実に体験した事実が、そう物語り、そう思わせてくれています。

だから、彼女には、『この時期のこのタイミングで
誘われた事にはきっと大きな意味があると思うよ』とだけ伝えました。

まとめ

これは私の責任だ。無責任な行動はしたくない。

そう思い込み、自分の行動を変えてしまう事がありますが、
『ちゅっと待てよ』です。

本当に、それは正しい責任の取り方なのか?
もしかしたら思い込みや、思い上がりじゃないのか?
本当に望まれてるのか?

そんなことを少しだけ立ち止まって
考えてみる事は悪い事ではありません。

ただ正義感だけに振り回されるのではなく、
本来あるべき姿で考えてみる事は必要な事です。

責任を取るとは、誰かだけが我慢する事ではない。
犠牲になる事でもない。カッコつける事でも、
悲劇のヒロインになることでもない。
組織にとって、よりよき方向に進む為に
何をすべきかを考え抜く事だと思うのです。

たとえ、それが数年後に訪れることであったとしても。