それでもあきらめるな どん底人生

これからの人生を最高にしていくために

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言うべき事を言うべき時に言える方法

ある人の咄嗟の一言に、一瞬、動揺して
思わず黙り込んでしまうことがあります。

それがどんなに理不尽で、納得がいかなくても、
ぐっと我慢してしまうことがありました。

後で思い返して、その情景がふつふつと蘇ってきて
イライラがつのりだしてました。

こうなったら、大切な自分の時間をそのイライラが
支配し始めて、何度も何度も思い出しては、
『あの時、言い返してやるべきだった』

そんな無駄なストレスのたまる時間の使い方
をしていたように思います。

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言うべき事を言わないと勘違いされる

こちらが黙ってるから、相手は、
私が理解して、反省してると勘違いしている。

また同じようなことがあると、
『こないだ言ってあげたでしょ、まだ理解してないの?』
になり堂々巡り、お互い無駄な時間の繰り返し、
なんとも勿体ない事をやってました。

余計な事を口走って後悔する

逆に、言わなくていい事、心にもない事、
間違った事をつい、言葉にして、これまた後で後悔することがあります。

場合によっては責任が生じて大きな問題に発展することすらある。
たまに、テレビで見る、政治家の失言なんかがそうです。

聞いてる相手に悪意があると、発言が都合のいいように切り取られて
その部分だけがクローズアップされ、攻撃の的にされる。

後悔後にたたず、『前言撤回します』といったものの、
後の祭り、取り返しがつかないケースになることもあるものです。

言うべきことは言う。言うべきでないことは言わない。

言うべきことはちゃんと言う。それがたとえ自分に不利になろうと
新たな問題を発生させようと、軋轢を生もうと、
言うべき時に言うべき事をきちんと言えるようになりたいものです。

一方、言うべきでないことは、どんなに感情が高ぶってようが、
悔しかろうが、あるいはあまりにも不用意に、口にすべきではない
事をわきまえる。そうありたいものです。

しかし、なかなかこれが上手くいきません。
特に会社がどん底にあるときは、平常時に増して、
失敗の連続でした。

社員に対して、余計な感情を交えた発言をしたり、
社外の関係者からの理不尽な発言にただ下を向いていた
だけだったり。

今になって思えば、反省することばかりです。

自分の判断基準を持つ

当時の私は何とか会社を存続させたい。そう思う一心で
判断の基準がぶれていた、いやその基準というやつすら
持ってすらいなかったんじゃないかと思います。

決定権を持つ者の意見に迎合し、
その意に沿うことばかり気を使っていたように思います。

 それだと、言うべき事は言えず、つい言わなくてもいい事が
口をついて出てきます。

つまり、自分の意見を持てていない。
考えても、じっくりと深堀をしていなかったんじゃないかと
思います。

とにかく今を抜け出したい一心で、
オロオロしてばかりだったんじゃないでしょうか。

その反省は私にある習慣を授けてくれました。

それは、なにがしかの出来事が降りかかってきたその瞬間に、
『私はどう思うんだ?』

『人がどう思うかはいい、真の私はどうしろと言っているんだ?』

そう自問する習慣です。

同時に第2の質問が浴びせられます。

『何故そう思うんだ?』

どう思うのか、何故そう思うのか。
この2つの質問の答えは、すぐには出てきません。
それほど、この習慣に慣れてないものだから
それなりの時間がかかってしまいます。

でも、幸いなことに、この 間が
心をいったん落ち着かせてくれるチャンスの間に
なってくれます。

もちろんすべてがうまくいくわけではありません。
今でもちょくちょく失敗します。

でも、その都度、自分の中で反省会をする分、
少しづつですが上達している感じがします。

www.k-genri.com

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まとめ

言うべき事を言うべき時に言えるようになれれば、
きっと言うべきでない事を言わない人にも近づけるんだと思うようになりました。

それは、自分の中で自問自答を繰り返しながら、
同時に相手の事も想像する習慣を持つ事にもつながります。

この繰り返しは人間通になることにもつながるんじゃないかと思います。

日々の暮らしの中で、自問を繰り返し人間通になっていく。
時間はまだまだかかりそうですが、その道中を
楽しんでいければそれもありなのかと思うのです。