それでもあきらめるな どん底人生

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困難に打ち勝つ心幹の鍛え方

もがいていたあの時

会社が窮地に陥って何とかしようとしていたのがここ数年前の事。
もがいて、あがいてそれでも諦めずに何とかしようとしていた時には、
不安だらけでしたが、どこか身体の中から湧き出てくる
エネルギーみたいなものがありました。

『きっと良くなる』『必ず何とかなるはずだ』
そんな根拠はないけれど不思議な期待感が
私を支えてくれていたんだと思います。

しかし当時は見渡せば厄介な問題だらけです。
どう考えても解決できない難問ばかり。
『きっとこれから大変なことになる』そんな不安が次々に湧いて出てきます。

考えても仕方ないのに仕事をしていても、
食事をしていても、寝ている時でさえ襲ってきました。

今思えば不思議ですが、それでも、前向きでいられました。

諦める事を決意する

しかし、ある時、決意をしました。会社を大手企業に売却する決意です。
その最大の理由は、このまま頑張れば多くの人に迷惑をかけてしまう
というものです。

昔から頑張るのは得意でしたし好きでしたら、
諦めると決めた時は何とも言えない虚無感を感じたものでしたが、
そう決めた途端、周りのあらゆるものが動き出し、
立ち止まって考えている余裕が無くなりました。

そしてあれからあっという間に1年がたち
『事業譲渡が完全に終了し新たな体制が定着するまで』
と思って残っていた会社にいまもまだいます。

新たに襲ってくる虚無感の正体

今は、あの時のように資金繰りに頭を悩ませる事や、
仕入先や銀行に説明に行くことも無くなりました。

だから『1年もたてばきっと楽になる』
そう信じていましたが、そうはなりませんでした。

気がつくと何とも言えない虚無感が襲ってくるのです。

あの事業譲渡前の経営危機の時とは違ったです。
むしろあの時より強敵ではないかと思えるほど、
攻撃を仕掛けてきます。
『いったいお前は何者なんだ?』

そう思いあれこれ発生原因を考えてみました。
失ったものへの哀愁か?
これからの不安なのか?
あるいは自分で自分に失敗者という
烙印を押し続けているからか?

失敗するとあらゆるものが襲ってくる

世間は勝者には喝采を浴びせ、あたたかく接してくれるものです。
しかし、その逆、失敗者にはかなり厳しい。

幾度か罵声を浴びました。それらは、それほど、
心配や迷惑をかけていない人からのものが多かった。

『何でこの人からこんなに言われるんだ?』
と不思議に思ったりしていました。

一方、一見、やさしそうに見える
興味本位の物見遊山もありました。

『心配して頂いてありがたい』そう思った次の瞬間に、
単なる自分との比較で『私は大丈夫で良かった』

そんな安堵の材料に使われた事を知り、
その場を静かに去った事もありました。

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強くなる為に心幹を鍛える

あれこれ経験して言える事は、
生きている以上、『これで楽になる』という事はないという事。
残念ながら人生とはそんなものだ。

一難去ってまた一難、
泣きっ面に蜂
弱り目に祟り目
禍去って禍また至る

日本には、残念ながらこの手の諺が山ほどある。
これは歴史上の先輩諸氏が経験した人生から出てきた言葉。
だとしたら受け入れるしかない。

つまり、人生から困難が無くなる事は無いを素直に受け入れ
嘆いてばかりいないで、自分に出来る事をやる。
つまり、『強くなるしかない』これが答えのようだ。

そう悟った瞬間、背筋が伸びる気がした。

また困難がやってきたと思った時に丸まってた背中が
伸びたこの瞬間、心の中に幹があることを感じた。

まさに、体幹ならぬ心幹の存在

これでもかとやってくる困難に出くわした時、
心がぶれずにしっかりと立ち続ける為の心幹を鍛える事。
これがこれからの人生を生きていく上でなによりも必要な事。

そう思えてきました。

心幹の鍛え方

体幹は筋トレで鍛えられます。
ジムで様々なメニューをトレーニングする事で、
球を遠くに飛ばせたり、きれいなジャンプが出来たり、
相手を投げ飛ばしたり出来るぶれない身体の軸を作る事が出来ます。

では心の幹はどうやって鍛えるか。
それは、『徹する』事にあると思うのです。
不安に襲われると、やりかけていた事を放り出したくなります。
つい、逃げ出したくなる。『どうせ駄目だ』という烙印を押したくなります。

そんな時、決めた事を続ける。
ただひたすら行じる。
この1歩がいずれ万里に通ずると信じてやりとおす。

その積み重ねの果てにのみ、心幹は鍛えられ、
困難に打ち勝つ心が出来上がるのだと信じて、
今日も続ける事にしています。