それでもあきらめるな どん底人生

これからの人生を最高にしていくために

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落ち込んだ時の思考法

落ち込む事は誰だってある

人生で最初から最後まで順風満帆という人はいないだろう。

たとえそう見えても、陰では様々な困難に見舞われ、

悪戦苦闘しているんじゃないだろうか。

 

万が一にも『私は何の困難もなくこの人生を全うしました』という人がいたら、

はたして、羨ましいと思うだろうか?

 

我々が成長したな、少しは強くなったなと思えるのは、

決して物事が上手く進んでいる時でなく、

やってもやっても結果が出ずに、考えても考えても

答えが出ない時では無かっただろうか。

 

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だとしたら、この困難というやつは、我々を成長させて、

目標に近づけてくれる最強のスパルタコーチなのではないだろうか。

 

 

落ち込んだ時の弱い顔

そんな、困難というスパルタコーチに鍛われている時の自分の姿を振り返ってみた。

悔しさと、歯がゆさと、情けなさで顔はボロボロ、足腰は弱くまともに立ってない。

目線は下を向き、立ちあがろうとも、前に進もうともせず、ただ茫然としている。

 

そんな時、ある先輩から喫茶店に呼び出されました。

落ち込んでいるだろうと心配して声をかけてくれた先輩から言われたのは、

『お前、すごく弱々しい顔してんな、以前のお前の顔じゃない』でした。

 

その喫茶店の帰り道、ショーウインドーに映った自分の顔をみて

『なるほど、仰るとおり、この顔じゃ駄目だ』と痛感しました。

と同時にある事に気付きました。

 

辛い事があり過ぎて、打ちのめされすぎて、弱い顔になってたんじゃない。

落ち込んで、ただ茫然と立ち尽くして、下を向いて立ちあがろうともせず、

落ち込んでる事に安住してたから、弱い顔になったんだ。

 

 

困難から学ぶ力

人の一生なんて長いようでそんなに長くない。

うだうだとしてたら、あっという間にエンディングになってしまう。

 

棺桶に入る時に、こんなはずじゃなかったとは思いたくないものだ。

 

その為には、自分の人生の設計図を書いてみる事だと思います。

これまでの人生を振り返り、自分自身を振り返り、

何が原因で、今の私があるのかを熟考してみる。

 

すると、今までに起こった事すべてに、何らかの意味があったように思えてきます。

 

自分の奢りが招いた痛みや、慌てる性格が招いたミスや、

心配りが足らなかったから大切な人を怒らせた事や、色んな出来事が、

多くの事を教えてくれていた事に気付かされます。

 

教えてくれていたにも関わらず、当時の私はそれに気付かず、

気付こうともせずに、人のせいにしていました。

 

その時は、神様は形を変え、方法を変えて、同じような困難を

また与えてくださいます。

気付くまで何度も何度も与えてくださいます。

 

自分に起こったことから学ぶ心の持ちようがいかに大切かを

今更ながら実感します。


それでいいのか私の人生

当たり前ですが、1日は24時間です。

これは誰に対しても平等に与えられたものです。

 

しかしこの24時間をどのように使うかは、個人に委ねられています。

 

だらだらと無意味に過ごしてもいい。

自分の成し遂げたい事の為に使ってもいい。

しかしそこに、有意義に使ったか、無駄遣いしてしまったかという、

判断軸を持ちこむと見え方は変わってきます。

 

 

何やってんだ、こんなとこで、下向いてる場合じゃないだろう。

そういう内なる声が聞こえてくる気がします。

すると、自然と行動が変わってきます。

 

 

まとめ

人間だから誰にだって落ち込む事はあります。

中途半端に落ち込むより、とことん落ち込んで、

自分を憐れんで少し休ませてやるのは悪い事じゃない。

 

しかし、思いっきり落ち込んだら、

『そろそろ時間の無駄遣いはこれくらいにしとくか。』

そう言い聞かせて立ちあがろうじゃないですか。

 

落ち込んだままでは何もいい事はありません。

身体にも精神にも悪いし損ばかりです。

 

明けない夜はない。だったら陽が昇る方に、

自分から歩いて行こうじゃないですか。