それでもあきらめるな どん底人生

これからの人生を最高にしていくために

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過心と焦りの失敗から学んで再起する

 

会社を通じて夢を見る

経営者にとって、会社というのは、単なる生活の糧ではなく、

いつのまにか、人生そのものになってしまいます。

事業が上手くいっている時には、色んな夢を描きます。

 

もっと、会社を大きくしてこんな事をしてやろうとか、

この市場でNO1になってみせるぞとか、

社員旅行で海外にいくぞとか。

そんな事を考えている時は実に楽しいものです。

 

 

事業が上手くいっている時

上手くいっている時は、周りにもたくさんの人が集まってきて、

色んな応援や、提案をくれます。

お金も喜んで貸してくれるし、大切な情報も集まってきます。

みんな笑顔ですから、自信も湧いてきます。

行動的になり、その行動が新たな成果を生み出し、

正のスパイラルが回り始め、経営が楽しくてしょうがなくなります。

 

過信の正体

しかし、そんな時、ジワリジワリと忍び寄ってくるものがありました。

過信です。

上手くいっているのは、自分の経営の能力せいだ。

だから、俺が下す判断はいつも正しいんだ。

どんな時でも俺なら乗り越えて行ける。だって、今がそうじゃないか。

口には出してませんでしたし、自覚してませんでしたが、

しかし、頭のどこかで、そんな事を思ってたのかもしれません。

 

ある時、こんな出来事があったのを覚えています。

ある先輩経営者の方々との集まりで、何かの議論で白熱した時、

自分の意見を述べただけだと思ってましたが、

昔からお付き合いのある親しい方から、

「お前最近すこしいい気になってないか?」と言われました。

 

一瞬、びっくりして、その後に、多少ムカついて、

そして帰り道、冷静になって考えながら、

俺は間違ってないという自己判断を下したのを思い出しました。

 

会社が好調だったもう何年も前の事です。

 

厳しい時の焦り

それから、次第に我社を取り巻く環境が変わり始め、

ジワリジワリと業績が悪化して行きました。

 

最初は一時的だと軽く見ていたものの、

状況は一層悪くなり始めました。

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この頃にも過心はまだ残っていました。

「大丈夫。俺が打つ手は間違ってない」そうやって

新たな手を考えては実行して行きました。

 

社員は何の疑問も持たずに付いてきてくれました。

しかし、そこには十分な議論はありませんでした。

どこかに、俺が決めたんだから間違いないという

オーラを出していたのかもしれません。

 

そんなオーラを出している経営者には、

誰も意見を言おうとはしません。

どんどん貴重な情報が集まらなくなり、

判断はギャンブル化して行きます。

 

そして一気に会社の業績は悪くなりました。

かつての過心は吹っ飛びました。

そこにあるのは、焦りです。

何とかしなければ、という思いはどんどん膨らんで行きました。

 

この焦りは過心にも増して、当時の私の冷静な判断を奪って行きました。

焦れば焦るほど、失敗の数が増え、余裕がなくなり、

イライラする機会が増え、そして社員が離れて行きました。

 

そこには一緒に乗り越えていこうという空気はなくなり、

チームとは呼べない組織になっていたと思います。

 

焦りは他責を生んでしまう

社員は社長の判断に従って苦しい状況にいました。

私の知らないところで、苦しい言い訳や、お詫びをしていたと思います。

しかし、焦りに包まれた私は、「会社がこんなに大変な時に、何やってんだ」

「もっと必死に頑張れよ」という空気を出していたんだと思います。

 

そんな経営者にたいして、社員はどう思うでしょう。

「お前を信じて付いてきてんだからお前の責任だろう」

「何とかするのが経営者の仕事だろう」

誰からもそんな事は言われませんでしたが、

私が社員であれば、そう思ってたと思います。

 

つまり、焦れば焦るほど、他人を攻めあう組織になり、

泥沼が始まります。

そんな組織にはもう何とかする力は残っていないのでしょう。

 

過心せずに、焦らない

人間、調子がいい時は、過心してしまいます。

逆に悪い時には焦って何とかしようとしてしまいます。

でも、どちらもいい事はない。 どんどん深みにはまっていってしまいます。

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今になって思えば、焦ってどうにかしようとしても、

どうにもならなかった事に気付きました。

どうあがいても、多分、結果は一緒です。

 

全てを失ってもまたはじめる事を再起という

だったら、やる事やったらあとは、

「なるようになるさ』と構えている方がよほどいい。

何故なら、失ってもそれは決して終わりではないからです。

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たとえ、今回は負けたとしても、永遠の負けではない。

どんな勝負だって勝つ時もあれば、負ける時もある。

その位に思っておけばいい。

 

今回の負けを終わりだと決めるのは自分です。

という事は、自分で決めなければ終わりじゃない。

 

負けた事を、みっともないと思うかどうかを決めるのも自分次第。

 

そこでやめなきゃ負けじゃない。

また立ちあがって、はじめた時には、

これは私の再起だ。そうやって胸を張っていればいい。


まとめ

人間はつくづく調子がいい時には過心し悪い時には焦ってしまう生き物だと思います。

どちらもいいことはない。しかし、過心して痛い目に会い、

焦って苦しい思いをした経験はまんざらでもありません。

 

再起という次のスタートの時には、力強い味方になってくれるものです。

しかし、その経験を生かすも殺すも自分次第なんでしょう。