それでもあきらめるな どん底人生

これからの人生を最高にしていくために

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頑張りすぎない生き方

会社がどうなるか分からない=自分のこれからの人生が見えない
というどん底の時には、
とにかく今を乗り越える事ばかり考えてました。

今、この状況を脱することが出来れば、何とかなる。
そう信じて、踏ん張っていたように思います。

そんな時に出会った言葉。
『明けない夜はない。そして夜明け前が一番暗い』
そうか、今こんなに辛いのは、夜明け前だからだ。

今を乗り切れば、きっと良くなる。

そう信じて、歯を食いしばってました。

そして、会社は大手に無事事業を承継され、
事業は存続し、社員も全員雇用の継続がなされ、
仕入先やお客様にも迷惑をかけることなく、
クロージングを果たしました。

 

徐々に襲ってきた虚無感

これで、全てが終わった。
夜は終わり、日が昇り出す。

そう思ってました。
しかし、なんだか心が晴れません。
求めていた着地地点に、到着したはずなのに、
なんなんだ、この心のモヤモヤは。

そう思っていると、しだいにそのモヤモヤは
勢力をまして、心の中で広がっていきました。

今までに経験したことのない、虚無感。
新たな敵。すくなくとも前向きになろうとする
自分を押しつぶそうとする何かがいる。

気付いたら、そいつに支配されそうになってました。
つい、イライラしたり、他責になったり、
自暴自棄になったり。

解っていても、自分で自分をコントロールすることが
困難だというくらい、相手は強敵でした。
このままでは、間違いなくやられる。

そんな恐怖を感じるほどでした。

相手の正体を見つめる

このままでは、負けてしまう。
精神をやられてしまう。そう感じたので、
対抗策を考えてみることにしました。

相手の強大な力はすでに認めていたので、
真っ向から戦う事は避ける事にしました。
真っ向から戦うとは、気合と根性で相対することです。

ネバーギブアップ、歯を食いしばってでもという
精神論は選択しないことを決めました。

まずは、この新たな敵の正体を
暴いてやることにしました。

どんな時に、現れて、どんな攻撃を仕掛けてくるのか。
それにより、私の何がダメージを受けて、
どんな支障が生じるのか。じっくり観察してみました。

そこにはどうもある決まりみたいなものがあるようです。
私の心の奥深くに、スイッチみたいながあって、

そのスイッチを自分であれ、
他人であれ触れてしまったときに、
この強敵は現れて攻撃してくるという事が解りました。

だんだん面白くなってきたので、
さらに追及することにしました。

すると、このスイッチは、どうやら
自分の責任感からくるものらしいと解ってきました。

社長の時には、『すべての責任は自分にある』
と思ってましたし、社会も社員もその責任を
遂行することを求めてたと思います。
その責任感があるときは重荷でしたが、
どこかで踏ん張れる支えでもありました。

しかし、今はその責任から解放されているはずなのに、
長年この責任とまじかで、常に格闘していたら、
身についてしまって、なかなか離れてくれません。

どこかで必要のない責任感を感じ、取れるはずのない
責任で自分を責めて、周りが自分に責任を求めていない事に
物足りなさを感じているのだと思いました。

『そんなバカな』そう思って何度も考えてみましたが、
どうやら間違いなさそうです。

いいかげんで行くことにする

 という事は、この強力な敵、相手は、
自分自身という事になります。

ある意味、私の持ち味の責任感の強さが、
逆に禍し、私を責めてくる。

私が私に苦しめられているんだとしたら、
こんなバカな事はない。

敵は内にありという気付きは、
原因や責任をすべて外に求めていた私にとって、
大きな驚きでした。

敵が内にあるなら戦えば戦うほど、
自分が傷つき、疲れ果てます。

だから、戦わないと決めました。

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 今まで何が何でもと相対していたものに、
いい加減に対応することにしました。

まー思うようにいかない時もあるさ。
ぼちぼちマイペースで行けばいい。
周りから軽蔑されるかな?まーそれもいいとしよう。

あえて満点を取りに行かない。
完璧を目指さない。
責任を取るためだけに頑張りすぎない。

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自分らしさを取り戻す

こんな風に考えると、今までなら間違いなく、
『俺はなんて無責任なんだ』と責めていたと思いますが、
それをやめてみたことで、今までがむしゃらに握りしめていた
何かを、ふっと手放した感じがしました。

その何かとは、本当に自分の大切なモノだったのだろうか?
もしかしたら、しがらみとか、責任とかで
仕方なく握りしめていたんじゃないだろうか。

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内なる味方の出現

今、手放したその手で、新しいモノをつかみに行こうとしています。
新しい事を始めるときには、先が見えず、不安ばかりが募りますが、
同じ不安でも、あの内なる強敵が現れてこないのです。

それどころか、新しいモノをつかみ取った時の
イキイキとした姿をイメージさせてくれる
何かが出現し始めました。

内なる強力な味方の出現です。

違いといえば、今まで握りしめていたモノを手放して、
あたらしいモノをつかみに行っている、ただそれだけです。

 

まとめ

自分の身体、自分の思考でありながら、
時と場合によっては自分ではコントロール出来ない何かが現れ、
敵になったり、味方になったりすることがあります。

そう長くない人生で、せっかく与えられたこの命を
内なるもう一人の自分の争いながら、足を引っ張りあいながら
生きていくよりも、協力し応援してもらいながら、
全う出来る方がいいに決まってます。

この人生を終える時、『よし、やり切った』
そう言って、一人棺桶の中でガッツポーズをする。

今からでも決して遅くないはずです。