人は生きていれば、日々様々な問題に出くわします。
そして、そんな問題を乗り越える為に、
我々は鋼のような強い心を持つ事を求めます。
親も子供に強くなる事を求めます。
大切な我が子が、この社会で生きていく為には、
強くなるしかない。そう信じて、
ひたすら、『がんばれ、あきらめるな、負けるな』
愛情を込めてそう言い続けます。
鋼のような強さは効率が悪い
私も、どん底にいる時に、様々な問題に出くわし、
打ち勝とうと悪戦苦闘を繰り広げていました。
なにくそ負けるもんか、やられてなるものか。
そう思いながら行動し、結果はだいたい2勝8敗。
たまに勝った2勝の後には、
さらに強力な問題がやってきてました。
それでも、自分を叱咤激励し、勇気づけ、
立ちあがる事を自分に強いてました。
その結果どうなったか。
疲れました。
心はボロボロになり、精神はすり減り、
体調までおかしくなりそうでした。
『修羅場は心を強くする』
と言われます。たしかにそんな一面もあります。
あんまり動じなくなったと言えばそうかもしれません。
しかし、なんとも効率が悪い。
耐え忍んで、我慢して、たどり着いた先で
後ろを振り返った時に、鋼の強さを求めていた自分に対して、
『もっと上手な方法なかったの?』
そう問いたくなりました。
心が強靭であれば様々な事に耐え忍ぶ事が出来ますが、
もし、その限界を超えてしまったら、
ぽきっと折れるてしまうことになります。
しなやかな強さとは
当時の私は、やってくる難問に真正面から向き合ってました。
それが正しいと信じて疑いませんでした。
しかし、今になって振り返ってみると、そうでもないのです。
そんなに真剣に受け止めなくても良かったり、
ねばならないばかりではなく、たまには『成るようになる』
くらいの受け止め方の方が良かったんじゃないだろうか?
振り返って、そう思う事が結構あります。
それは決して逃げではなく、しなやかな受け止めです。
いつもラグビーのスクラムのように、
ガツンと組みあうのではなく、
たまには飛んできたボールを
身体をねじってさらりとかわす。
そんなイメージです。
地震の時に、高層ビルがユラユラと揺れに身をゆだねる
あんな感じです。
いい加減になる
しかし、当時の私には出来ませんでした。
だからいつも苦しさが顔いっぱいに滲み出てました。
そんな時、ある先輩から言われた言葉を覚えています。
『お前は真面目だからな』
当時は真面目で何が悪い。そう思ってましたが、
真面目な分、受け止め過ぎて、焦って、苦しんで、
周りに迷惑をかけていたとも少なくありませんでした。
残念ながら、真面目だからこそ失敗した事も多々あります。
だとすれば、
ここぞというところは、とことんこだわり抜き、手を抜かない。
しかし、それ以外はあえて手を抜いてみる。
あえて完璧を崩してみる。いい意味でのいい加減をやってみる。
これは心をしなやかにする一つの方法です。
忘れる
どん底の時には、夜目が覚めた時に、
自分から問題や苦しみを思い出そうとしていました。
今になって思えば、何やってたんだろうと思いますが、
どん底の時の私があえてやっていた事です。
何一ついい事はありませんでした。
自分で自分を追い詰めて、疲れさせてただけです。
そんな時には、忘れてしまう事です。
それがひとときでも構わないので、忘れてしまう。
人間それほど器用ではないので、
あれこれ同時には出来ません。
この習性を上手に使ってあげるのです。
その為には、没頭出来る別の事に集中する。
それが得意なことだったり、好きなことだったりすると、
心はとっとと、そっちに行ってしまいます。
どうしても考えなきゃいけない事を、
あえて後回しにしてしまうのです。
まとめ
我々は追いつめられた時に、その難局を脱しようと頑張ります。
頑張る事はいつだって大切ですが、
どんな気持で頑張るかは色々あります。
絶対に引かない、負けないといった鋼のような精神で、
四六時中、身構えているより、
やる事やったら、後は大いなる力にゆだねてみよう。
そんな、しなやかさも時には大事です。
自分の心を折らない為に、
しなやかな強さを身につけてみてください。