思えば、この2年間、実に様々な事がありました。
会社の業績が急に悪化し、様々な手を施して、
会社を買ってもらう判断をし、その為の、あらゆる交渉を経て、
実現し、現在に至る。
普通では経験しないような、ギリギリの状況を
体験し、嫌というほど、思い悩み、苦しみました。
- 『起こった事にはきっと何か意味がある』
- 『苦しみ悩むことは本当に尊い事です』
- 『思いをこえて生まれながらなんでも思い通りにしようとする』
- 『良し悪し損得、好き嫌いばかりで生きている私』
- 『不安や苦しみは私を育ててくれる大切なご縁です』
- 『南無阿弥陀仏 人間と生まれた意味に訪ねて行こう』
失ったものも大きかった。
しかし、今ここで、こうしてこのブログを
書きながら、自分に起こったあらゆる事を振り返りながら、
『起こった事にはきっと何か意味がある』
そう思えてきます。
まるで誰かに見透かされているように
ある日突然、目の前に起こった事の意味を
教えられてるような出来事に出くわすことがあるものです。
そんな事を思いながら、仕事で京都を訪れました。
場所は京都駅の近く。地下鉄に乗ろうか少し迷いましたが、
歩いていくことにしました。
駅近くの、東本願寺の前に差し掛かった時に、
1つの看板に出くわしました。
そこには、
『苦しみ悩むことは本当に尊い事です』
と書いてありました。なんだかあれこれ悩んでいる
私にぴったりの事が書かれています。
つい、看板に向かって
『尊いと言われても、かなりきつかったんですよ。
夜に何度も目が覚めました。胃が痛くなって、
呼吸が苦しくなることもあったんですよ。』
そう愚痴りたくなりながら前方に目をやると、
同じような看板が続いています。
それらを1つ1つ読みながら進んでいくことにしました。
次の看板には
『思いをこえて生まれながらなんでも思い通りにしようとする』
そうありました。
当時は、何とかしようとあがいてました。つまり思い通りにしようと
あがいてましたが、いつかの時点で、どうにもならないことに
気付くことになります。
やることはやった。しかしこれから先は私の力では
もうどうすることも出来ない。
あるがまま、結果は成るようになる。
そう思った瞬間に急に楽になったのを覚えてます。
『良し悪し損得、好き嫌いばかりで生きている私』
ともありました。
こうあるべきだ。私に反対する人は、絶対間違ってる。
そんな自分勝手な思考に苦しめられてました。
しかし、よくよく考えてみると、それらの多くが
自分本位な判断であり、私の都合であり、見方であることにも
気付かされます。
そして、次に看板にはこうありました。
『不安や苦しみは私を育ててくれる大切なご縁です』
そうなんです。このどん底や、苦しみがないと
解らないことが沢山ありました。
もちろん、まだまだ分からないことだらけですが、
いままでの自分が気付かずに行っていた、
奢りや、過ち、間違った感情コントロール。
それらが、少しづつ、見えてきます。
見えたからといって、すぐに上手に出来るわけではないのですが、
不安や苦しみに育てられた。その実感だけは
強く感じるのです。まさに大切なご縁です。
実は、この看板には共通した1つのテーマがありました。
それは
『南無阿弥陀仏 人間と生まれた意味に訪ねて行こう』
というものでした。
人間として生まれたことにはきっと何か大きな意味がある。
それは、人ぞれぞれ違うもの。
自分だけに与えられた使命というもの。
それまで、考えてもみなかったこの使命について、
不安や苦しみを体験した後、深く考えるようになりました。
そして、そんな迷いながらの京都の、
たまたま歩いていたところで見つけたいくつかの看板に
ここまで色んなことを教えてもらうなんて
思ってもいませんでした。
これも何かの縁なのかもしれません。