それでもあきらめるな どん底人生

これからの人生を最高にしていくために

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これからの人生を輝かせる為に

これからの人生をどう生きていくかを考えてみた。


今までは、自分が経営する会社に全てをかけてきた。

思えば、家族にも迷惑をかけたもんだ。
ろくに育児もしなかった。そのほとんどを嫁さんに任せて、
仕事を言い訳に、家にいる時間は少なかった。

そんなだから、何度となく三行半を突き付けられそうになったが、
どうにかこうにか、堪えてもらってここまでこれた。

そして、会社を大手企業に売却し、この会社での私のお役は終わった

さて、これからどうしよう

今まで、全ては会社が中心だったから、それ以外の事は、
頭になかったし、考える事も無かった。

趣味と言えば、休日の経営者仲間とのゴルフくらいだ。
それも1年半前にやめた。

どうせなら、これからの人生、自分らしい事、自分の得意な事を、
社会の、誰かのお役に立てるようなものにしていきたいものだ。

人生の再スタートである。

今までの人生をじっくり振り返る

まずは、焦らずにじっくり考えてから始めようと思い、
過去の振り返ってみる事にしました。

エクセルで年表を作ってみて、あの時、こんな事があった。
この年で、こんな決断を下して、チャレンジをして、
その結果どうだった・・・・

上手く言った事もあれば、失敗したこともあります。
まさに走馬灯のように鮮明に蘇ってきます。

しかし、やろうと思って始めたものの、
途中でやめたもの。何らかの理由で中断したものが
実に多い事に気付かされます。

あれ程、気合を入れて始めた目標なのに、
その多くを、私はいつの間にかやめてしまっていた。

その目標は本当に叶えたい目標なのか

途中でやめてしまうくらいなら、
さほど大した目標じゃなかったのかもしれません。

でも、一方で、会社が窮地に陥り、
社員やその家族の人生、自分や家族の人生が
かかっているときの、目の前の問題は別でした。

睡眠時間を削り、食事をする時間を削り、
なんとかしようとくらいついてました。

頭の中は、いつもその事で一杯でした。
無我夢中とはこのことでした。

しかし本当に目標を達成できる人とは、そんな有事の時に限らず、
絶体絶命な窮地に陥らずとも、
着々と目標に向かって進んで行ける人ではないかと思うのです。

どうせ一度きりの人生。なんとなく終わってしまったというより、
自分で自分の未来を設計して、やりきった。
そう思える方が、何倍も面白そうです。

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目標に集中して持続する

会社が窮地の時は、あれこれ言ってる余裕はありませんでした。

とにかく、目の前の問題を何とかする。最悪を脱する。
そればかり考えてました。
だから、当時の私には、退路が無かったのです。

これが駄目だったらこっちがあるさ。が許されなかった。
だめだったら一巻の終わりになります。

でもそんな時の自分は強かった。
誰に言われなくても、決めた事を確実に実行してました。

そのにもこだわってた。
これでもかと考え抜き、慎重に実行し、結果を振り返っては、
『次はこうしよう』を自然に実行してました。

そして、結果は、出た。

100点じゃないけれど、行った事の成果は間違いなく出た。
その理由は、私の能力では、多分ない。

明らかに言えるのは、無我夢中で集中していたということ。

色んな案件はあったけれど、今、集中すべきはこれ。が明確だった。
そして、集中力を持続する事が自然と出来ていた。

心の声、『逃げるな』を活用する

あの時、出来たんだから、これからだって出来るはずだ。
そう自分に言い聞かせ、有事だろうと、平時だろうと
集中して持続するを心掛ける事にしました。

しかし、その違いは明らかです。
あの絶体絶命の時と違って、つい、
『このくらいでいいだろう』
『あとは、次回にしよう』
『まーいっかー』が次々に生まれてきます。

しかし、今回は意識してるから、その言い訳言葉がよく聞こえます。
だから、そんな言葉が聞こえてきたら、
心の中のもう一人の自分に叫んでもらう事にしました。

『逃げるな―と・・・

実は、この心の声、結構優れモノです。
まあいいかーといった不抜けた自分に
気合を入れてくれます。背筋が伸びます。

『本当にいいんだな』と問われているような気になります。
だから、『いや、待ってくれ』『やっぱ続ける』

そんな短い会話が頭の中で繰り広げられます。

今日も何回、『逃げるな―』と叱咤されたか。
『うるせーなー』とか思いつつ、
間違いなく自分の行動が変わっている事を実感しています。

もちろん、今日一日だけ見れば、なんの変化もありません。
しかし、逃げずに続けた5分の積み重ねは
いつか必ず花開く。そう信じています。

まとめ

懸命に生きてきたつもりでしたが、
いつのまにか50も後半にさしかかりました。

振り返ってみると、あれこれ反省も沢山あります。
顔が真っ赤になるほど恥ずかった事や、
自分が情けなくて暗く沈んでしまう事だって
山ほどあります。

そんな時はこの言葉を思い出すようにしています。

「これまでが これからを 決める」 のではない。
「これからが これまでを 決める」 のだ (藤代聡麿)

京都・東本願寺の門前に掲示してあった言葉だそうです。

これからの人生、逃げずに目標に集中して進んでいく。
そのことで、過去の過ごしてきた人生が輝いてくれると信じて。