それでもあきらめるな どん底人生

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地獄は見る事が出来る

『地獄を見た』という言葉があります。
死んでもないのに、地獄が見れるのか?

 

そう思ってしまいますが、
生きていても地獄を見る事があります。

 

かつての私がみ見たものは、
あれはもしかしたら地獄だったのかもしれない。
そう思うことがあります。


ほんの数年前、経営していた会社が
窮地に陥りました。

 

『きっと何とかなる』
そんな淡い期待とは裏腹に、
一気に業績は厳しくなり、
頼みの綱の、金融機関の態度は
日に日に厳しさを増していました。

 

あれだけ和気あいあいとしていた
社内の雰囲気はぎすぎすしたものになり、
争いが絶えなくなりました。

 

今まで信頼関係にあると信じていた社員が
労働組合の上部団体を連れてきて、
経営者責任を問うてきました。

 

仕入先の態度は豹変し、
あらゆる厳しい条件を突き付けられます。

 

株主総会では、かつての従業員から
罵声が飛んできました。

起死回生を狙った新規事業は
期待空しく、結果が出ませんでした。

 

夜、寝れなくなり、寝ても変な夢ばかり
見るようになり、起きたらびっしょり
寝汗をかいている。

 

会社では、銀行からの電話に怯え、
社員からの報告に怯える
日々を過ごしていると、

 

常に心は緊張状態で、
時々、胸が苦しくなり、
過呼吸の状態が続いていました。

 

そんな日々が1年半以上続きました。

 

しかし、

確かに苦しかったし、辛かったけど、
これが地獄だとは思いませんでした。

 

何故なら、心のどこかに
きっとなんとかなる。
まだ、その思いがありました。

 

しかし、事態はそれほど
甘くなく、ついにぎりぎりの選択を
迫られることになります。

 

会社を売却して手放すか、
このまま倒産させてしまうか。
その選択です。

 

長年経営してきた会社というのは、
家族みたいなものです。
わが子も同然です。

それを手放す事を考えると
身がよじれる様な気持ちになりました。

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地獄が見える


 

そんな時期でした。
ふと、今まで張りつめていた
糸がプツンと切れた気がしました。

 

自分の中のどこかで、
もう一人の自分が、
つぶやくのが解りました。


『もう、いいんじゃないか』

 

その時、
今まで、自分を支え続けていた
様々な想い。

 

家族や、社員や、仕入先様や
会社や、お客様

 

それらの人々の顔が
一瞬私の中から消えていました。

 

そして、気が付いたら、
『楽に死ねる方法』
そう検索していました。

 

そこには、身をよじる苦しみや
嗚咽するような恐怖はありませんでした。

 

あったのは、

 

ただ、自分が自分でない感覚。
現実から離れ、魔界にでも
足を踏み入れたような
なんとも不思議な感じ。

 

今までの人生で味わったことのない、
自分を『諦める』という
精神が麻痺した状態でした。

 

 

それが、私が見た地獄です。
地獄は見えるものでした。

 

私を救ってくれた2人の仲間

そんな地獄から私を救ってくれた
2人の友人がいます。

 

その2人には共通点があります。

 

それは、彼らもまた、
かつて自分の命を
自ら絶とうとした事があった
という事です。

 

その時の事を
さらっと話してくれる2人の
話を聞きながら、

 

そこに、
彼らの地獄が見えました。

 

彼らは最後まで私に、
『頑張れ』とは言わなかった。

 

ただ、その時の私の状況を
誰よりも理解してくれました。

 

そして、言葉にせずに


『地獄には必ず出口がある』
そう教えてくれました

 

この世の地獄は見る事が出来る。
しかし、そこから
這い出して来ることも出来るんだ
という事を教えてくれた
2人でした。

 

七転八倒しているときは、
まだ地獄ではないのかもしれません。

 

しかし希望を失って、自分を失いかける
その瞬間、地獄が見えるように思うのです。

 

地獄は私たちの中に訪れる
一瞬の錯覚なのです。

 

そんな時は、家族を抱きしめ、
友達にすがり
愛する人たちの顔を思い出す事です。

 

何故なら必ず出口があるものなのですから。