それでもあきらめるな どん底人生

これからの人生を最高にしていくために

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亡くなった母が遺した宝物

先日、母が亡くなりました。

88歳。

ここ数年の口癖は『早くお迎えに来てほしい・・・』
でした。

そのたびに、『生きたくても生きれない人もいるんだ』
そんなこと言うもんじゃない・・

そう伝えてました。

自宅を出て、施設に入って1週間目にその日はやってきました。
新しい人生が始まると、どこかイキイキしていたのに。

あれを持ってきてほしい、あの本を注文しておいて・・
これからやることが山ほど見つかった

そう言っていた矢先、
施設から電話があり『お腹が痛いといわれてます』とのこと。

仕事を切り上げ病院に連れていったとき、
異様に顔色が悪いことが気になった。

診察ではどこも異常はなく、
痛み止めをもらって帰ることにしました。

今思えば、こんなに苦しんでいる母を見るのは
初めてでした。

『早く横になって休ませてやろう』
『そうすれば、きっとよくなるはずだ』
そう信じて疑いもしなかった・・・

施設について、職員さんに引き渡し
『また明日くるから・・・』そう言ったのが

最後になりました。

夜中に眠れないと眠剤を求めて事務所にきたそうです。
明け方4時の巡回では、ベットの上に座って
なにやらパジャマのボタンをいじってたらしい

そして・・・
発見されたときは、
床に正座したまま、前のめりに倒れて息絶えてました。

きっと、寿命がやってきたのだと思います。
それを悟った母は、死の直前、拝んでいたのでしょう。

我々の人生は砂時計のようなもの。
上側の砂のどこかに金色の粒があって
その金色の粒が落ちるときに

人生が終わる。

その金色はどこにあるか、わからない。
母みたいに、ある日突然かもしれないし、

余命として宣告されることもある。

きっと母のあの前日の痛みは、
命が途絶えるときに与えられる
痛みだったのだろう。そう思う。

やっとお迎えが来て、
喜んでいるに違いない。

しかし、残された私には悔いが残る

あの時、『もっと〇〇していれば・・・』

もっと訪ねていってれば。
もっと一緒にいろんなところに行っていれば
もっと優しくしていれば・・・

そんな思いが際限なく浮かんできて、
私を苦しめる。
涙があふれてくる。

しかし、この、『もっと・・・』は
きっとどこまで行っても尽きる事はないのだろう。

だから、こう思うことにした

『もっと・・・』を『もう少し・・・』に変えてみよう。

あと、もう少しだけ、話をしよう
あと、もう少しだけ、笑顔でいよう
あと、もう少しだけ、優しく接しよう。

しかし、母に対しては、もう、かなわない

だったら、身近な存在、そう、妻に対して
やってみようと思った。

いつも喧嘩ばかりしていた、妻も、
そんな私の『もう少しだけ・・』に
最初は『鳩が豆鉄砲くらったような顔』していたが、
何かを感じ取ったのだろうか。

気のせいかもしれないが、
彼女も私に対して、
少しだけ優しくなったような気がしてきた。

そうか、これが母が我々に残した
宝物だったのだ。

『奥さんを大事にせなよ‥』
『家族が大事、仲良くしなさい』それが
母の口癖だったことを今になって思い出す。

母が、自分の死を通じて、
遺してくれた宝物を
これから、誰に対しても、大事にしていこう。

そう思わせてくれました。