それでもあきらめるな どん底人生

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むかつく相手への対処法

ある日、1通のメールが届きました。
そこには、到底許せない一言が書いてあった

一瞬、私の怒りは頂点に達し、
言い返す、罵詈雑言が頭を駆け巡った

まさに自分を正当化し、
それによって相手をののしる
見にくい言葉たち。

そして、冷静を装いながら
もっともらしい正論を
並べ立てている自分が想像できた。

でもすぐに、『今はやめとこう』
そう思った。

どうひいき目に見てもカッコよくない。
いや、みっともない。
やってしまったら、後悔するのが目に見えている。

だからしばらく、ほっておくことにしました。

ところが、

怒りが何度も何度も蘇ってくる

気が付いたら、
メールの言葉が頭の中で繰り返し出てきて
考え着いた言い返しの言葉がパワーアップして
増幅してくる。

いくら考えないようにしようとしても
無理な事が分ってきたから
しばらくその怒りと付き合うことにしました。

怒りと付き合ってみた

怒っている自分にもう一人の冷静な自分が
質問を投げかけていく。

冷)『なんでそんなに怒ってるの?』
怒)『だってそうだろう、あの一言は許せない 』

冷)『どうして許せないの?』
怒)『だって失礼だろ、侮辱している』

冷)『じゃー、どうしてほしかったの?』
怒)『私の立場も理解した上で、発言すべきだ』

冷)『つまり、理解してほしかったんだ』
怒)『普通、そうすべきでしょう・・』

冷)『理解してほしいというを満たされないから怒ってるんだ』

日々の暮らしの中で、

もっと、俺を理解して
もっと、俺を大切に扱って、
もっと、俺を尊重しろ
もっと、もっと、俺を、俺を・・・

そんな、欲の塊の自分がいることに気が付いた

そしたら、ふと親鸞上人の言葉が浮かんだ

『心は蛇蝎の如くなり』

あの修行を積んだ親鸞さんだって
自分の心には蛇やサソリのような
見にくい思いが宿っている

そう言われたそう。
私なんて、親鸞さんに比べたら
蛇蝎の塊だ。

だから、欲があっても当たり前、
怒りがあっても当たり前。

でも、そのために、大切な自分の時間を
無駄に過ごすのは勿体なさすぎる。

まっ、いいか・・と考えてみる

人間だから、怒ることもある。
その怒りに縛られることもある。

そんな時は、こう考えることにした。

まーた、俺の中の欲が騒いでいるな・・
満たされなくても、まっいいか。

それよりも

日々是好日を目指そうじゃないか

あの相田みつをさんも言ってたじゃないか。

幸せはいつも自分の心が決める

と。

まとめ

むかつく相手がいたら
感情に任せて怒りをぶつけるでもなく、
ただ、我慢するのでもなく
自分の中の欲が騒いでることを冷静に見つめて

心の置き所を自分なりに探してみる。

その上で、最善の対処法を見つけ出していく。

そんな事が出来る自分を目指して、
日々、練習、練習、修行、修行を
繰り返していこうと思うのです。

いつか、上手に出来るようになることを目指して。